Wで始まる言葉 will
I would like to travel abroad. I海外旅行をしたい。
I would like to have coffee. コー ヒーを飲みたい。
このwould like~がどうして「~したい、欲しい」と言う意味になるか、疑問に思ったことはないですか?しかも、このwoulld like ~ のほうがwantを使う文より丁寧な文、こちらを使う事をお勧めします。
wantはあまりにも直接的です。
さて、本文に戻ってwillの話です。
will が過去形の would に変わっただけなのに,will がwouldに変化してひかえめな表現になったという事はお判りでしょうが、この「~したい、欲しい」という意味はwillのもともとの意味からきているのです。
willはもとは本動詞として「将来~だったらいいのに」という希望を表す動詞でした。現在は助動詞として他の動詞とともに使われるわけですが、 ~would likeは昔の意味を残して話し手の「希望、望」を表現しているのです。
shallは「将来の義務」を表す本動詞でした。現在ではYou should ~ ~すべきだ、と言う文を構成するのに使われていますよね。
ノルウェー語では今でもwill, shallが本動詞として使われています。
結婚の習慣
先日、映画を見ていてイスラエルの結婚についての習慣をしることになりました。
結婚している兄が亡くなってしまうと、残された弟は兄嫁と結婚することになるのです。この映画のストーリーはKIng Davidダビデ王の時代よりも前のことでしたが、この現代でもまだ10代そこそこの弟が年の離れた兄嫁と結婚することになる、と言うイスラエルの映画を見たことがあるので、今もこの習慣は生きているのでしょうね。
あら、今まで考えてもいなかったことに思い行きついてしまいました。
私の祖父には二人の奥さんがいました。一人目は病気で亡くなり、次に嫁いだのが彼女の妹でした。日本でもそんなしきたりがあったということでしょうか。それともなりゆき?
英語では結婚のことをweddingと言いますが、もうこの言葉は日本語の中に入り込み定着していますよね。もう一つ日本語に入り込んでいるのがmarriageです。これはフランス語からきた言葉です。
もともとのweddingのほうは、もう古語英語Old English にありました。古い時代にもちゃんと「結婚」と言う形態がとられていたという事ですよね。
wで始まる英語の言葉はほとんどOld Englishです。war, way,wash, winなどなどの言葉を考えると、Old Englishの時代に人々がどのような暮らしをしていたか、なんとなく分かるような気がしませんか?wooと言う言葉もそんな言葉の一つです。意味は「求愛する」です。
winter冬と water水の語源は同じなんですよ。どれほどに彼らの冬は雨が多い、ほかの言葉でいうと水っぽかったか、想像つくと思います。
ぺっとpet
皆さんの家にはペットがいますか?
我が家には自分のことを絶対に猫だとは思っていない猫がいます。
さて、petですが、フランス語のpetitからきていて、もともとの意味は「小さい」と言う意味です。
pettyという英語もありますが、これは「些細な」、「つまらない」、「とるに足らない」などという事を意味します。
petてそんなことはないですよね。
pet の存在感て大きいと思います。良いcompanionになると思います。
ところで、companion を使って、animal companion、あるいは companion animalという言い方もありますが、petの別の表現です。
companionもfriend 同様に、友達、仲間と言う意で訳されますが、後者程心のつながりなどない間柄です。
なお、companion はcompanyと語源は同じで「パン pany」を「一緒conに食べる人」です。なるほどと思いませんか?
夫はたぶん私以上の猫好きだと思います。我が家を猫屋敷にしたいとずっと言っておりますが、近所の手前、そうもいかず、我が家の猫は外に出たことがない「箱入り猫」です。前の家の時には2匹同時に飼っていたことがあります。
猫と一緒にジュウシマツを飼っていたことがあるのですが、猫によって鳥に対する対処が全然違うという事が良くわかりました。前の家でのことですが、鳥がケージから逃げた時、2匹の猫どちらもがご主人様(夫に)のために鳥を口の中にくわえて運んできたのですが、1匹の猫は無傷で、もう1匹の方は殺してしまって・・・でした。
今、家にいる猫はとにかくハンターです。野生を残した猫です。容赦はないと思います。
仮定法
英語には法は三つしかないのですが、そのうちの一つ、仮定法についてです。
仮定法と言う文はお好きですか?
「~だったらいいのに」、「~できたらいいのだけど」と言うような文章は何だか愚痴ばかりこぼしているように聞こえるのだけど、とオーストラリアの友人(オーストラリアの中学校で日本語を教えています)に言ったことがあります。
そして、日常の生活でどれくらい頻繁に仮定法なるものを使うのか聞いてみたのです。
どんな返事が返ってきたと思いますか?
日常的に良く使うのだそうです。
じゃ、やっぱり、愚痴ばかりこぼしているのか、と思われます?
説明を聞いて、なるほど、と納得しました。
God bless you!神のご加護がありますように。くしゃみのことを書いた時にこの文については述べました。
God save the Queen! 女王を守り給え。
等よく耳にするフレーズです。
どういうことか分かりますか>
これらは仮定法の文章なのです。
仮定法でなかったら、これらは
God sses you!
God saves the Queen!
となるべきなのです。主語が三人称単数ですから。
長くなるのでこれくらいにしますが、wouldを普通に使った文も仮定法なのです。
ただし、ほかのオーストラリアの友人(日本のある大学の准教授)はこれらのことに関して知らなかったと言っていました。
automatically自動的に、英語を喋っているネイティブと呼ばれる人たちはそんなものかもしれません。
日本で英語を教えているロンドン出身の人は(実は私の同僚)、 as ifを使った文が仮定法だという事も理解していませんでした。
英米人、ネイティブはもちろん流ちょうな英語が喋れますが、何も考えずにautomaticallyに喋っているだけってことです。
フランスからのお客様 ワサビの話
ちょうど大阪で万博が催されていた時のことです。夏休みを利用してフランスから友人が来日し、我が家(実家は岡山です)に2週間ほど滞在していきました。
当時はまだ関西空港もなく新幹線もなく、朝一番の列車に乗って伊丹空港まで迎えに行ったのを思い出します。
彼女は岡山を後にしてからは岐阜、鳥羽、東京などを観光して帰りました。合計、1か月は日本にいたのでしょう。岡山に滞在していた時は、毎日、県内は無論のこと神戸、姫路などなどにも案内しました。でも、とりあえずフランス人が持っている日本に対しての固定観念はなくして帰ってくれたと思いますよ。
毎日、暑かった…で、彼女が一番に覚えた日本語は「暑い」でした。
彼女も私も22歳ころだったと思います。思えばあれから年をとった・・・。
さて、彼女を交えたある日の昼食のお話です。
レストランでおそばを食べることになりました。彼女がbuck-wheat noodleおそばを食べるのはその時が初めて、見るのも初めてだったと思います。
おそばを目の前にして、おそばとワサビのコントラストが実においしそうに見えたのでしょうか。
彼女は、まずはぱくっとワサビの塊を口の中に入れてしまったのです。
私には止める暇もありませんでした。彼女は叫んでいました。"Fire!"と。
私の当時の英語力ではちゃんとした説明もおぼつかない状態。とにかく彼女のお箸へ…という動作の方が速かったわけです。
そして、私はのんきなことに「そういう時にはFire!と言えばいいんだ」なんて英語の勉強に入っていました。
今もワサビ、おそばを見るたびにそのことを思い出します。
ワサビは英語でhorse-raddishと言います。彼女はマジパンくらいに思ってしまったのかもしれませんね。もっとも、当時、私はまだマジパンと言うものを知りませんでしたが。
ヨーロッパ人の味覚はマイルドです。ノルウェーには胡椒以外のピリピリする香辛料はありません。
スプーンおばさん
さじという言葉を時々聞きます。spoonのことです。ちゃんとその漢字もありますよね。さじ、この言葉って死後になりつつあるのでしょうか。
さじと言うとノルウェー語のsjeを思い出します。私にはこの2つの言葉、なんとなく同じように響くのです。 sjeとは spoon のことです。
以前、NHKでノルウェーの漫画、”Sjesaering”というのを流していました。「スプーンおばさん」 です。
saeringer とは、人との会話でmy wifeと言う意味で使います。
しかし、話し相手の奥さんをyour wifeのつもりで din(あなたと言う意味) saeringer とは言えません。
din hustru(この言葉は、 husbandの女性版だと思ってくださったらと思います)と言います。
hus とはhouse家のことです。
やはり、言葉ってあまり使わないとだんだんに死語傾向になっていくのでしょうか。
どこの言語でも同じ意味の言葉が二つあるとどちらかがその傾向になるというのが普通のようです。
そうでなければ、英語の中のフランス語のように同じ意味を持つ2語が使い分けられて存在するとか…。このことについては、また、書きたいと思います。
外国人 gforeigners, utlandinger
外国人のことを外人と呼ぶのはよろしくない、と言われています。
「よそもの」と響くのでしょうか?
以前、私がスペイン語のforastero(あるいは、女性形で forastera )を習った時、すぐに英語のforestを思い出しました。スペイン語の「外国人」というのは「森からやって来た野蛮人」だと言いたいのか、と思ったものです。
その後、forestの語源を知り、納得しました。
forestは for(戸外)に est(この言葉はラテン語の be動詞で存在)する者と言う意味になります。 ようするに扉から一歩外へ踏み出すとそこは森、ちみもうりょうが、といわなくても、得体の知れない野蛮人がいる、と考えられていたのでしょう。
外国人 foreignerもこの言葉の 先頭にあるforが扉の外を意味しています。
扉の外は他人、扉のうちは家族、と言う意味の言葉に聞こえてきませんか。
foreign のreinも何かを連想させませんか?
reinはラテン語のrei(王)に通じ、ドイツ語の reich(国)に通じ、英語の rule(統治する)、 right(権利)などにも関連していくのです。
要するに、foreign は「自分の家の外にある国」です。
中国にも自分の外の国は蛮族・・・という言葉がありましたよね。
人間と言うものは自分とは違った人たちを下に見ようとする、自分の方が上だという何かを見出し優越感を持ち、それは差別し発展する…残念なことにそんな本質があるのでしょうか。
ベルベル人の呼び名、barbarianと言う言葉も brah-brah-brah-と訳の分からない言葉を 喋る人たち、というのが語源のようです。
英語の表現で~bar ba-ba-と言うのが聞こえてきたら日本語のべらべらベラ(そう表現するのは正しくないかな)意味のない言葉、音の羅列のことです。
babyと言う言葉も赤ちゃんはそんな訳の分からない言葉を羅列している、ということからできた言葉のようです。
utlandingerとはノルウェー語の「外国人」です。utは英語のout, landは英語と同じ、そしてingerは人とその複数形を作っている言葉です。
いつまでたっても、どんなに長くその国に住んでも外国人扱いということは愉快な事ではないかもしれません。国策に関しては私は何とも言えませんが。
ノルウェーには多くのパキスタン人が住んでいます。私が住んでいたころもかなりの数の人たちがいました。出稼ぎの人たちですが、かれらは結婚相手は国に帰って見つけノルウェーに連れ帰ります。彼らはその段階ではパキスタン人です。ただし、彼らの子供たちはノルウェーで生まれるとノルウェー人になります。
十数年前にノルウェーに行ったのが最後だったかしら。その時で、オスロの人口の1/6は外国人だったと思います。
シリヤららあちこちの難民、出稼ぎの人たちを受け入れる国なので相当外国人が増えています。それだから、と言ったら弊害があるでしょうが国は年々物騒になっています。殺人事件が毎日のように起こっています。私が住んでいたころは本当に平和な国でしたが。