ヨーロッパ、アメリカの人が虫を食べないわけ、しかし皆さんは食べたいですか?

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ノルウェーに住んでいた時、一匹のゴキブリも見る事がなく、その点、快適でした。

蚊とかハエはいましたが。

特にハエ・・・となりに農家があったので、そこからだと思いますが、よく飛んできていました。

ニュージーランドからお客さんがやって来た時、入り込んだ何匹ものハエを夫が追い回していると、There, you see a dangerous one!などど彼らが冗談を言っていたのを思い出します。

アメリカでは13~17年毎にセミが周期的に大発生するそうです。

イギリスから移住してきた人たちはそのセミセミというものの知識がなくて「これがおそらく聖書に出てくるイナゴだろう」とセミのことをイナゴと同じlocust と呼ぶようになったそうです。

で、アメリカでは今もセミのことをlocustと呼んでいるそうです。

イソップ童話の中で最も(?)有名な『ありときりぎりす』はもともとは『ありとセミ』という題だったんだそうです。

北部ヨーロッパではセミが良く知られていなかったので、セミの代わりにこの物語の題名にキリギリスを使ってしまったとか。

随分前、フランスからお客様があったのは真夏の8月、家の庭でにぎやかにセミが鳴いておりました。

cicadaという言葉を使いましたら、ちゃんと通じたのを覚えています。

ヨーロッパで虫を食べた・・・という話は聞いたことがありません。

虫がいない北部ヨーロッパにとって虫を集めて食べることは大変な労力がいるわけで、そこまでして無理に虫を食べる必要がない、そんなことは一切やめて他のたんぱく源を求めた方がはるかにお得なお話ってわけです。

私はどうも虫は苦手です。

どんなにおいしいと言われても無理と思います。

試された事ありますか?

私たちがノルウェーに住んでいた時、夫が日本の蚕だと言ってお店でその缶詰めを買ってきてはパーティで皆に供していました。

silk wormという事だったのですが、あれって本当に蚕だったのでしょうか。

今考えると、どうも形が違います。

例えて、たがめかカメムシみたいな形、長さは1cmちょってで平たかった。

色は薄茶色。

それに日本製だったかも怪しいです。

私としてはチェックする気にもならなかった、というわけです。

虫ではありませんが、すき焼きの缶詰めが売られていました。

ちゃんとしたオスロ一番の大きなデパートで。

Sukiyaki Song♪が世界中で人気を博しましたから売れると思われたのでしょうか。

我が家の招き猫

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招き猫っていつのころからお店の玄関で陣取るようになったのでしょうか。

これって日本独特のものだと思いますが、海外に行ってもお店の入り口に飾ってあったりします。

たぶん、日本に旅した人たちが気に入って買って帰ったのだとは思います。

一番多く見たのはイタリアかな。

日本の猫とは違って手が肩の上の方でおいで、と言っているのではなく下の方で「いらっしゃい」と言っています。

そうしないとヨーロッパのジェスチャーとしては、あれはCome, come, welocme!ではなく、Go, go, go away!ですものね。

私も恥ずかしながら、このジェスチャーで失敗したことがあります。

仕事先のクリスマスパーティで夫やほかの人たちと話していた時、こちらの方に向かってきている夫の友人のフランス人にこのジェスチャーをしてしまったのです。

即、その人は、くるっと反対を向いて向こうに行ってしまいました。

悪いことをしてしまった。

しかし、その人ももう何十年も日本に住んでいて(17歳の時から。空手を習いにやってきてそれっきり日本に住み着いてしまった)それくらい察しがつかなかったのか、とは思いましたが。

さて、我が家にも招き猫がいます。

ただし、本物の猫。

あれで我が家に福をもたらせてくれているのかなあ。

我が家の猫はわりと玄関に陣取って昼寝をしています。

特に夏の間は。

お昼寝ばかりの猫です。

目が覚めると「お腹が減った、食べたい、食べたい」ばかりの猫です。

今年は早くも玄関でお昼寝をするようになりました。

今年はもっと暑くなるのでしょうか。

それとも誰かが帰った時のお出迎えのためにずっとスタンバイしているのでしょうか。

家から外に出したことがないのですが、すきあちゃんとしてくれるようになるんだろう?らば出るぞ、って感じです。

ところでお宅の猫ちゃんは何か芸をしますか?

我が家の猫は愛嬌を振りまくのみ!

もう一つ前の猫は「お手」とかしてましたが。

他にどんなことを教えるとしてくれるようになるんだろう?

まあ、猫って見てるだけでも様々な所作やら表情で・・・

自分が一番偉いと思っている我が家の一員です。

人生観 view of lifeが変わる?

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皆さんは今までの人生で何かが起こったために、あるいは何かを見たために人生観が変わってしまった、とかの経験はありますか?

私は人が人生観云々の話をすると、さて私は?と考えてはみるのですが、これってなにもないんですよね。

鈍いんだろうか?

人によって何が心に訴えるか、何か感じるかは違ってはいると思います。

人生観という事でインドのイラストを付けてみたのですが、このイラストはかなり明るくて人生観を語る絵には程遠かったでしょうか。

それにしても、インドに行った人は何か考えてしまうことを多く見出すようです。

夫は40数年前、日本での留学を終えて国に帰るのに南アジア、それに数か国のヨーロッパを回ったのですが(本当はもっと回ることになっていたのだけど、イタリアですりに会いスーツケースのカギや様々に失くしてしまって、スーツケースが開かなくて、寒くなっても着る服がなく、あきらめてさっさとノルウェーに帰ったのです。暖を取るために外側の服の下に新聞紙を着たとか。今、そんなことをして税関で見つかったら怪しい人に見られる?それに、開けるように言われてもスーツケースを開けられないんじゃあ、ますます怪しむべき人に見られる?)、インドは、特にボンベイはこの世の地獄だったと言っていました。

親が「立派な物乞い」を創り上げるために自分の子供の眼をくりぬいてしまっているのを見たとか、様々なことを見たようです。

ガンジス川の話はよく聞きますが、実際に見聞するとそれ以上のものがあるのでは、と思います。

で、私をインドに連れて行くなどという話は一度もありませんでした。

同じように思える国でもネパールはいい国だったと言っていました。

人の性格ももっとゆったりしていてインド人より信用できる、なんて言っています。

インド、少しは豊かでモダンで美しくなったでしょうか。

知人なんかインドが気に入って何回も行っています。

イタリアで人生観が変わったという人もいます。

それにカナダの秋の紅葉した木々、森を見てから人生観が変わったという人も。

それぞれに同じものは見えないはずです。

私は何を見てどう人生観が変わったのだろうと、想像するだけなのですが。

想像できますか?

人それぞれのバックグランドによっても同じものを見ても感慨は同じではないはずです。

インドは余りに貧しいから?

底辺カーストの生きざまを見たから?

私はそんな人たちを見ると悲しくなってしまうでしょう。

しかし、それが私の人生観を変えるとは思えないんですよね。

イタリアは彼らが陽気すぎるからでしょうか?

周りを見回すと全てが芸術品、美術品に見えてくる国・・・。

生きている歴史の重さを感じるからでしょうか?

トレビの泉なんて恋人たちのたまりばでした。

それは日本では見られない人生の一部?

(前回、行った時には世界中のツーリストが多すぎて恋人たちの影は薄かったかも・・・です)

カナダでは自然の大きさ、荘厳さを感じるのでしょうか?

私には分かりません。

私の以前の生徒さんで若かった時に、世界のあちこちを旅し、インドではお姫様のお城に半年居候した、という人がいました。

彼、今、70代ですが、旅において何か考えることがあったのでしょうか、ずっと独身を通していらっしゃいます。

高貴な人々のシンボルとなったフォーク

皆さんのお家ではどれくらいの頻度でフォークを使っていますか?

我が家では、夫だけがたいていフォークで食事をしています。

仕方ないか・・・。

歴史の上では、フォークはなかなか普及しなかったようです。

ナイフはかなり早い段階から愛用されていたようですが、あくまでもそれは肉を断ち切るための道具で、食器とはみなされていなかったみたい。

スプーンはもっと古くから、おそらく2万年前に西アジアで発明されたそうです。

spoonて語源は木片ですって。

ギリシアやローマの時代には早くも広く使われていたとか。

ルネッサンス以降、なぜかスプーンは愛のシンボルという縁起物になり、恋人同士でプレゼントするのがエチケットとされたとか。

また、今の時代、my箸とかレストランに持参する人がいるけど、それと同様、客としてどこかに出かけるにもmy spoonを持参するのが当たり前で、主人は来客用のスプーンを用意する必要なんてなかったんだそう。

食器の中で最も歴史の新しいのがビザンチン帝国で考案されたというフォーク。

2股に分かれた小型のフォークがイタリア中部のトスカーナ地方に持ち込まれたのは11世紀に入ってから。

当時は「小さな熊手」を意味するフェスキーナと呼ばれていたそうです。

しかし、これがヨーロッパにおける最初のフォークの登場というから彼らの手食習慣がいかに長く続いていたかが良く分かりますよね。

この事に対しても、頑迷な聖職者たちを中心に多方面から反対の大合唱が起こったのだそうです。

「神の恵みである食べ物にふれることが許されるのは神が作った人間の手のみ、妙な道具を媒介にするとはとんでもない」と。

そんなわけでせっかくのフォークもごく一部の酔狂な人を除いてはその後も長い間お蔵入り。

ようやく日の目を見るようになったのは15世紀の末とか。

それでも、当時はフォークを使用するのは女々しいきざ野郎と見られたりで、冷笑の対象であったとか。

この様にフォークに対する偏見は根強かったのだけど、カトリーヌ・ド・メディチによってフランスに伝えられたのちも、人々は食べ物を手で掴む習慣から逃れることはなかったみたいです。

手掴み時代には汚れた指を洗うために食卓に水鉢を置くことが必須とされたましたが、現在もレストランなどにみられるフィンガーボールは当時の名残であり、ナプキンも手を拭いた習慣を懐かしむためのアイテムに過ぎなかったわけ。

ところで、私はフォークが普及しなかったのは別の理由があったような気がします。

何だと思いますか?

古代、フォークは処刑にも使われたのです。

処刑に使うようなものを口に入れるものに使う?

古代、いや数世紀前の人たちに(その場に多くの人たちが集まった)とって人を処刑するシーンは大変な余興であり、処刑される人が長く苦しむようフォークは使われたのだそうです。

フォークを突き刺し、じわじわと血が流れ長くその人が苦しむように…簡単に死なない様に・・・。

人を吊るすにも足がぎりぎりにつくか付かないかの状態で吊るし、なるたけ長く苦しむようにしたとか。

人間て恐ろしい…17世紀18世紀の人たちもそんな世界に生きていたのです。

日本は平和だったと思いませんか。

人の心はそう変わらないと思います・・・私がよく言っている何かが変わるには3代かかる、ってことです。

フランスでは宝石をちりばめた装飾品とかしフォークはな単なる「宝の持ち腐れ」として埃をかぶったまま棚の奥の方にしまわれてしまっていたとか。

つまるところ、イタリア以外の国では18世紀にいたるまでフォークが脚光を浴びることはなかったということ。

それでも時の流れで、フランスでは革命直後にフォークが急速に見直されるようになっていったようです。

しかし、それは地位をはく奪された貴族が平民との差別化を図ろうと手掴みではない食事作法を始めた・・・見栄っ張りのジェスチャーに過ぎなかったみたい。

それでも、そうした風潮が広まっていくと、フォークは高貴な身分の者が使う上品で贅沢品の象徴へと変わり、3本指であっても手つかみの食事は下品な行為になり下がった、というわけ。

当時は2股式が主流、しかし、実用性に乏しいとして3本股、4股のものが開発されて人気を呼び、やがて人々は現在の様にナイフとフォークを扱う食事に慣れて行った。

フォークが市民権を得て(つまり手つかみでなくなって)ほんの2世紀足らずの歴史というのも驚きですよね。

食事が済んだら皿の上にナイフとフォークを交差しておくという習慣があります。

現在では食事が終わった事のサインと理解されているが、もともと17世紀にイタリアの貴族が始めた時は交差しておくことは宗教的なシンボル、つまり、十字架を表していた・・・神の恵みに感謝する敬虔なマナーだったそうです。

カレー 

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日本ではカレーが国民食なんでしょうか。

知り合いの家なんかカの付く火曜日はカレーの日、などと言って実践していたけど、カレーを目の前にして不機嫌になる人なんていないのでしょうね。

アラブの知人が、お腹が痛くなるとカレー料理を食べればいい、などとアラブの民間療法の話、カレー好きには嬉しい話をしてくれました。

最も、インドの人たちに言わせると、日本のカレーは彼らのカレー料理とは全く別のものだそうですよね。

カレーと言えばインド料理と言われるくらいカレーライスは、インド料理の代表のように見られているけど、インドにはカレーライスはないんだって。

それどころか、カレーとかカリという言葉さえほ今ではほとんど死語に近い、って誰かが言っていました。

インド南部のタミル語ではカリとは具のことだそうです。

イギリスのインド料理レストランで口にしたチキンカレー料理も日本のカレー料理とは全く見た目も味も違ったものでした。

薄めのたっぷりのカレーソースの中で骨付きのチキンの足が煮込まれていました。

鍋の中にはバターが250グラムくらい入っているなどと聞きました。

それほど多くの油脂、ということで一歩引いた感がありましたが、とにかくカレーという事で夫も私もおいしくいただきました。

カレーライスは、コロッケなどと同様に西洋料理をもとに手が加えられた洋風の日本料理に他ならないみたいです。

そうに違いないけど、カレー文化が日本には出来上がっていると思いませんか。

娘がカレーなら毎日だってOKと言っているのですが、実際に毎日食卓にあげたらあきてしまうのではないでしょうか。

以前、韓国に旅した時「日本のカレー店」という看板をあげたレストランを見つけ感激したのを思い出します。

それにしても、日本の家庭料理の中でカレーライスは、一番スパイスを使う料理らしいですよね。

15世紀より以前のカレー料理は現在のカレーほど辛くなかったとか。

カレーが辛くなったのは16世紀ポルトガル人が唐辛子をインドに移植してからという事のようです。

話がコロンブスの新大陸発見に行きつくのだけど、香辛料があまりにも高価だったため、彼が持ち帰った唐辛子をインドに植え、利潤を図ったものとか。

辛い食べ物のことを英語でhot というけど、hotな土地ほど hotな食べ物を食べる、というのは体にいいからなのでしょうか。

それにしても日本人ほどカレーの好きな国民はないんじゃないでしょうか。

経済的で調理は簡単、しかも美味しい。

ラーメンとともに不動の国民食に違いないわ。

皆さんのお家ではカレーにどんな食材を使いますか?

我が家の定番のカレーはゴボウがゴロゴロ、にょきにょきとはいったもの。

ゴボウがカレーによく合うのです。

Spring is Here! 春だ!

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待ちに待った春です。

私の仕事先に通う道の一か所に桜並木があります。

一度、木の数を数えてみましたが、100本以上ありました。

先日、金曜日にはぼちぼち咲き始め、気の早い人がカメラを向けていました。

桜の季節にはその並木道はライトアップされるのですが、それももう済んでいました。

明日、仕事に行くときにはもう満開近くになっているでしょうか。

どこにもお花見に行かなくても、私は毎年その桜を楽しんでいます。

時に桜吹雪の中を歩く事が出来るし。

仕事先の建物の窓からもあちこちの桜が見えます。

日本の春は様々な花とともにやってくる!

ノルウェーの春は・・・

次の絵の通りです。

ノルウェーはまだまだ雪の中と思います。
溶けてあちこちに土が見えだしても油断はできません。

私が住んでいた時、4月の23日頃にまたもや積雪があった事がありました。

少々の雪ではないですよ。

イースターの時期、4月の末にはノルウェー人はとにかくもう春だと思っているのか、その雪の中、ベランダに出てビキニ姿で日光浴を楽しんでいる女性を見たことがありました。

しかし、とにかくノルウェーにも春は確実にやってきます。

そして、雪が解けると日本では絶対に聞けないような音があちこちで聞こえだします。

雪が解けてさらさら、ちょろちょろ流れる音です。

リズム感がありまるで音楽です。

耳に聞こえてくる音は「春だよ、春だよ」と言っているようにも聞こえます。

楽しい音なのです。

ここでスメタナの『モルダウ』を思い出しました。

水の流れる感じ、まさにあの音楽です・・・。

日本の北国でもそうなんでしょうか?

そして、通りの道を雪解け水が流れ始めます。

ノルウェーの春はそんな景色から始まります。

ノルウェーは美味しい水があります。

雪解け水だからでしょうか。

ドイツとかに輸出しているそうです。

たいていのヨーロッパでは生水、水道水は飲んではだめ、と言われますが、ノルウェーはOKです。

時々、急に溶けてしまった水で町が洪水を起こしてしまったりしますが。

以前、冬季オリンピックがあったリレハメルの隣町、ハメル(本当はノルウェー語ではハーマーと言います。リレハメルもリレハーマーです。リレは小さいという意味)も水で浸ったことがあり、列車が不通になり、私たちはオスロまで車で帰ったことがあります。

本物の春が来るとノルウェーの日差しはきついです。

ヨーロッパ全般でそう言えるのでしょうか。

4月の終わりころ、ポルトガルに旅したことがあったのですが、日差しはきついやら暑いやらで半袖になったのですが、次の年まで消えない日焼けをしてしまいました。

ガマルオスト old cheese

 

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今日はチーズのお話です。

しかも、皆が皆、そう毎日食べないチーズです。

ガマルオスト、忘れられないチーズです。

ガマルとは古い、オストとはチーズのことですが、これってアジアのあのドリアンにも似通って、もうそれがその場から消えてなくなってしまっても、まだ、かなり強いにおいが残っている、という代物です。

ノルウェー人でも苦手な人が多いようでした。

夫もその一人です。

それを出されたとき「恐る恐る」という感慨は口にしようとしている私ではなく、出してくれたお義母さんだったと思います。

「まさかこんなもの、食べれるはずがないだろう」と思われたらしいのです。

「え?これってなにか覚えのある懐かしい日本の味だわ」

私にはそう思えてしまう味だったのですからおかしいですよね。

何だと思います?

いくらでも食が進む,って感じでした。

納豆の味によく似ていたのです。

パンの上に少ししかのせられなかったのは確かですが、私は美味しくいただきまhした。

臭いものと言えば、日本ではくさやが筆頭でしょうか。

ほかにもなにかありましたか?

くさやを例えて、初めて食べる人にとってはたじろいでしまうようなにおいだとか。

でも、食べなれた人にはたまらなくおいしいとか。

世界に臭い食べ物はたくさんある。

けれど、いくらなんでもくさや以上のものがあるはずはないわ、と思っていたらスエーデンにあったのです。

ニシンを発酵させて缶詰めにしたシュールストレミングというもの。

ノルウェーに住んでいた時、夫の同僚が5年物だと自家製のその魚の塩漬を持って来てくれたことがあったのですが、それも相当匂っていました。

北欧に行かれたらこれらの食べ物を試されたら、と思います。

まあ、何はともあれ、日本人てそんな微妙なにおい、味にもおいしさを見出すんだと我ながら感心してしまいました。

ところで、夫は納豆が大好きなんですよ。

それに栄養が高いと旅先にも持って行きます。

かと言って、ずっと持っては歩けないので、旅の1日目で間食してしまいますが、飛行機の中でもお構いなしなので、変な外人と思われるのはいつものことです。

日本の飛行機でなく海外の航空会社の飛行機の中でも持ち出して食べ始めたことが何回か・・・日本人じゃなくても客室乗務員の人たちは納豆のことを知っていました。

一斉に納豆、という声が上がりました。