警察官police officerをアメリカでcop,イギリスでbobbyと呼ぶわけ

最近、よく一昔前の映画を見ます。

先日のは"Robocop"でした。

アメリカの警察官を呼ぶ愛称copとrobotをくっつけた呼び名、文字通りロボットの警察官を呼ぶのにその言葉をつかっていました。

イギリスでは police officer,彼らの愛称がbobbyです。

どうして警察官の愛称がアメリカではcop, イギリスではbobbyなのでしょうか。

調べてみました。

まず、 bobbyの方は1829年ロンドン警視庁を設置したロバート・ピール内相にちなんだものだそうです。

彼が作った新しい警察組織はそれまでの警察組織より優れていたとか。

たいへん規律正しく評判が良かったのです。

それで彼の愛称bobbyに因みイギリスの警察官はそう呼ばれるようになったというわけです。

また、ロンドン警視庁にはScotland Yardの愛称がありますが、これはロンドン警視庁がロンドンのスコットランドヤードという街路にあったからだそうですよ。

ロンドンにいった時、何回もその前を通りましたがあまり目立たない存在だと思いました。

トラファルガー広場のすぐ近くの警察署で方角を聞きましたが、とても親切に教えてくれました。

実は、そこから、一度大英博物館まで歩いたことがあるのですが、その行き方を聞いたのです。

結構、近かったような…あちこち見ながら買い物を一度したりでしたが、20分くらいだったかと思います。

ちなみに、この街路の名前はその昔、そこにスコットランドの王や女王が居住していたところからつけられたものだそうです。

一方の、copのいわれには諸説あって、一説によると、昔ロンドンやニューヨークの警察官が赤い銅(copper)のボタンを付けていたからだとか。

また、別の説によると、これはconstable on patrol(巡査)という語の頭文字をとったものではないかといわれているとか。

しかし、文献にcop という語が最初に登場するのは1704年のことで、警察の歴史より古い、というわけで、この説は当てにならないという事でしょうか。

そこから、ラテン語で「捕まえる」ことを意味するcapere が語源ではないかという説も出ているそうです。

capereがフランス語に入って capとなり、さらに英語に入って copになり、それが「捕まえる人」で警察官 bobbyの愛称になったのではないか、という説です。

copの語を最初に使いだしたのは犯罪者世界においてだと言われ、そのためかcopには軽い軽蔑のこもったニュアンスがあるとか。

これに対しbobbyは親しみのこもった呼び方なんだそうですが、どうなんでしょうか。

それにしても、robot(物語の中ではrobotaと綴られています)という言葉をチェコの作家が「ロッサム・ユニバーサル。ロボット会社(URK)」に登場する人造人間を想像してから、100年も経たないうちにあちこちでロボットが見られるようになりましたよね。

Dubaiでは実際にrobocopが町の中で仕事をしているとか。

2017年の記事に載っていました。

ロボットなら私心を挟まず、人種差別もなく、忠実に平等に物事を扱えるのでしょうか。

それとも、プログラミングをするのは人間だから全てに作り主の個人的な気持ちが反映されるのでしょうか?

今でも、コンピューターなどなど、あらゆるもので、時に人間のいう事を聞かず、逆に私たちが機械に命令されている、使われている(時には随分長いことお手上げで)のにロボットが家の中をうろうろし始めたら・・・どうなるのでしょうか?

円安 Yen got weaker.

 

この記事をアップして、数時間後、夫が帰宅したのでその話をしたら、やはり銀行では手数料を払ったと言われました。

ただ、手数料を払わなかったのと同じくらいレートが良かったという事のようです。

勘違いです。Sorry!

海外旅行には次はいつ?

ただし、行く事が出来るようになった途端、どれほどの航空運賃と燃油チャージ額を目の前にしなければならないのか、想像もつかない。

昨年の暮れに、今年の暮れのためにトルコ旅行をとチケットを検索してみたが、15万円ほどの運賃。

それに燃油チャージや諸税が5,6万円。

そんなものは9・11以前はなかった(飲み物だって自由に手荷物の中にもっていることができましたよね。考えてみると不自由になったものです)。

この円安で旅行はもっと高くなるのは必定なのでしょう。

私が中学生高、高校生のころまで、$1は¥360だったのだから、それを考えるとまだまだ悪くはない?

私が初めてヨーロッパに行った時、銀行でドルに換えた時のレートを今も覚えている。

$1=¥192(端数ははっきりしない)だった。

それからみるとまだ今の状況は悪くない?

我々庶民にはどうしょうもないこと、それに、日々の生活には何もそう影響なないこと?

夫の年金はノルウェーから送られてくると、そのままノルウェーの通貨、クローナ仕立てで銀行に置いていた。

私が初めてノルウェーに行った当時は1クローナ¥23くらいだった。

それがノルウェーに住んでいる時、残っていた日本円¥50,000をクローナに変えて銀行に入れようとしたら(実際はそうした)この5万円が700クローナにしかならなかった。

そのまま日本円で持っていた方が良かった、という次第。

それが、この何年も円はまあまあクローナに対して高く・・・

ノルウェーのビジネスがうまくいっていなかった?

このところずっと1クローナは¥12(数十年前に比べると円高)くらいだったのです。

やっと(?)円安になって夫はクローナを円に換えました。

円はもっとひどくなるのでしょうか?

両替すると、手数料を取られますよね。

夫はかなりの手数料を覚悟で銀行に行ったのですが、必要ないって言われたそうです。

銀行が損をするようなことをするはずがないでしょう?

まだまだ円は安くなると銀行側は見越したのかと思ってしまいました。

銀行側はそのまま、その外貨を持っていれば儲けがあるということなのでしょうね。

韓国やらタイ通貨のドルに対しての強さにも今や日本円は負けてしまったとか。

情けない。

日本はどこに向かっているのでしょうか?

もし英語を自由に使えたら何する?

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ヨーロッパの常識:

ほんのこの間まで、第一次世界大戦まででしょうか。

彼らは、個人的には何かが気に入らなかったら、侮辱されたら決闘をしていたのです。

同じように、国と国の間でも何か屈辱的なことがあったら、即、戦争をしてもいい、戦争をするのが常識的な事だったのです。

彼らの国は平和ではなかった。

英語が、もし日本語と同じくらい自由にしゃべれたら、私は日本の良さを海外に宣伝しまくる。

世界中にそのメッセージを送る。

日本の文学、語り継がれて物語、おとぎ話、わらべ歌、民謡からすべて翻訳して海外に発信する。

日本がどんなに平和で豊かな歴史と文化があるかを知らせる。

日本がどうして前の戦争に入っていかなければならなかったかも知らせる。

世界では、一方的に日本が悪いことになっている。

アメリカでは日本人だけが収容所に入れられた。

NZの友人はdeath camp死の収容所ではないのだからいいではないか、と言った。

イタリア人、ドイツ人はなぜそこに送り込まれなかったのか?

私は人種差別を感じる。

広島、長崎に落とされた原爆、

これも、私は人種差別を感じた

日本はその新型爆弾の実験台でもあったと。

罪のない民間人を一瞬でこの世から消してしまうようなことをするのが正義であるはずはない。

戦争がもう終わっていた日本、

それでも、ソ連は中国に押し入り日本人を捕虜としシベリヤへ連行。

それに対しても何も言わず、するようにさせていた世界の指導者、

それが、今のウクライナとつながってはいないだろうか。

日本は相変わらず外交下手。

私の職場にも関係してくるのだが、どうして外国人と日本人が対等に見えないのだろう?

外国人様様ではないはず。

外国人には言い切らない・・・とまで言う始末。

私の仕事関係の公務員の人がそんなことを言うのです。

黙っていてはならない。

日本人皆が日本語と同じように英語を駆使出来たら、もう少しは世界に対して言いたいことを言える政治家も増えるのだろうか?

英語とは関係ない話になっていきそうです。

外国人と接する日本人のあり方に日々憤りを感じてもいますので・・・私には日本人が自分たちに対して人種差別をしている様に見えます。

もっと本当はこの事に関して書きたいのですが、たぶん、仕事を辞めたら・・・です。

 



パスポート passport

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前回の記事に引き続きという事でもないのですが、今日はパスポートのお話です。

皆さん、パスポートの管理はちゃんどできていますか?

パスポートって、海外を旅する時、命の次に大事なものとさえ言われています。

それが、やはり、うっかりというか、あるんですよね。

私はストックホルム国際空港でモンゴリアの人のパスポートを拾ったことがありました。

私たちが空港に着いたばかりのときでした。

もう一度はノルウェー、ベルゲン空港でイギリスマンチェスター行の飛行機に乗ろうとしていた時でした。

ノルウェー女性のパスポートでしたが、たぶん、彼女もイギリスに行こうとしていたのだと思います。

ゲートの近くのトイレで見つけました。

モンゴルの人のは普通に人が歩き回っている場所でした。

やはり大事なものは手で持って歩いていたらダメ・・・ということでしょう。

コペンハーゲンではボーディングパスを拾ったこともありました。

そんな大事なものをどのように扱うかで何かの拍子にとんでもないことをしてしまうことになるのかも・・・それはあるようです。

ノルウェー若い女性が、パスポートのページにミッキーマウスのシールを張り付けてしまったためにフランスに入国できなかったという事を聞いたことがあります。

そうそう、次の話はツアーに参加した時にガイドさんから聞いた話です。

初めてのツアー客、初めての海外旅行者にパスポートの管理はくれぐれも気を付ける様に言っていた・・・そりゃあ、そうでしょうね。

さて、ツアー出発当日、やって来た客、遠目にもイヤーな予感がしたそうです。

彼の首から何かがぶらぶら揺れている・・・

彼は大事なパスポートを絶対に失くさない様にパンチで穴を開け、紐を通し、首から下げていたのです。

その人は、無論、旅には出かけられませんでした。

次の問題客はイタリアへ行った人・・・イタリアに付いた時、入管の人が彼のパスポートに押した入国の印がうすかったので、自分でもっと濃くとマーカーでそのしるしの上からなぞったのだそうです。

帰国時問題になり、ダメと言われたのを、もしそのまま、ダメのままだとどれだけの時間、日数と費用が掛かり(日本から謄本などを取り寄せ、新しいパスポートを作る手続気をする、言葉が分からなければ通訳を雇う、パスポートが出来上がるまでホテルに宿泊、などなど。ガイドさんは100万円くらいかかる、などと言っていましたが、どうでしょうか)、どれだけ大変なことになるかを本人に言い含め、二人で平謝りをして通過させてもらったとか。

3人目は、パスポートはちゃんと持って来ていたのだけど、引き出しにあったパスポートをよく確認もせずそのまま持って行き、空港で初めてその人の妹のものだったという事が分かったというケース。

「似ているからこのまま行けるだろう」と本人は言ったとか。

それが通るはずはないですよね。

世の中旅のエピソードも様々です。

それにしても、次にパスポートを手にして出かけられるのはいつなんでしょうか?

今のパスポートを作ってから何年目になる?

そろそろ入管でパスポートの写真と本人を何回も見比べられる頃かも・・・。

travelling  甘い日本人旅行者

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海外で日本人を見かけると、すぐに日本人と分かる。

気軽な服装でなく旅用に選んだ「晴着」を着ている。

危機感も何もない平和そのものの顔が並んでいる。

日本の若者がどんなに甘っちょろい顔をしているか。

4,5年前のこと、私の生徒さんの息子が海外に旅をした時のことだ。

あの甘さで親もよく一人で海外に出したものだと、思う。

ちゃんと帰ってこれるのか、と心配したが、無事に帰ってきたようだ。

インドとかアジアを観光した後、ヨーロッパに渡り、最後はカナダへと世界を一周してきたようだ。

恐いもの知らずか?

彼がトルコを旅している時、強盗にあったという事を聞いた。

街の中で呼び止められ、ATMに連れて行かれ、カードで5万円出すように脅され言われるままにしたとか。

まあ、Life or money?と言われたら、誰だってお金を差し出すとは思うが。

親も親で淡々としゃべっていた。

心配はしなかったのだろうか。

私はそれを聞きながら、タイに旅した時の事を思い出していた。

福岡空港から一路バンコクへ・・・。

私たちが座り込んだ席の横には一つ席が空いていた。

出発時間間際になって若者、男性が乗り込んできた。

寝坊をしてしまって公共の乗り物に乗っていたら間に合わないだろうと、バイクを飛ばしてやって来た、という事だった。

一人での旅だと思いきや、本当は連れがいた・・・ただし、その連れはもっと寝坊をしたために、もう時間には間に合わないから旅はあきらめる、一人で行ってくれ、と言われたそうな。

彼らは大学生だとの事だったが、旅費は自分で出したのだろうか。それとも親が?

甘い甘い!

バンコクに着くまで海外がどんなに危ないか話して聞かせた。

のんきなことだ。

危機管理などという言葉は彼の頭の中にはなかったようだ。

キャッシュカードはズボンのポケットの中に入れているとか言っていたが、私たちの話で首から下げるようにした。

ただし、言われるままに飛行機の中でその作業をするとは・・・どこに何を持っているか他人に全部教えている・・・。

さて、私たちは目的地、バンコクに着いた。

ただし、彼はどこだったか、目的地が違い乗り換えなければならなかった。

トランジット客は機から降りると別の方角に行かなければならなかった。

が、気がつくと彼は我々の後ろにいた。

ずっとついてきていたのだ。

彼はもう一度チェックインしなおさなければならない。

私が地上係員に説明した。

大丈夫か?と思ったが、私たちにはそれ以上のことはできない。

彼は、その後、ちゃんと無事に旅程をこなしたのだろうか。

今も気になる。

彼が語ったのはタイに数週間いたのち、中国の昆明の知人を訪ねるという事だった。

だまされずにちゃんと中国まで行き日本に帰って来たのだろうか。

簡単にタイから中国へ、と言うけれどタイと中国は国境を接しておらず簡単に行くには飛行機、でないと隣の国を通過するにはビザが必要、という事も発生する可能性がある。

そんなことも何も考えず旅をしようと簡単に考えている日本の若者。

彼らのような危うい若者を見るたびに日本人はいいかもだと思ってしまう。

もっとも、ずっと前、夫が一人でフィリッピンを旅した時、夫も睡眠薬強盗にあった。

初めてのフィリピンで浮かれていたのだろうか。

飛行機の中で、あるいは空港で知り合ったのか現地の「親切な」若者が町を案内してくれるというので、喜んでついていったとか。

夫も甘い所があるのです。

観光して回っていた時、あるところまで来ると、その「親切な」人がビールを持って来てくれたとか。

さて、それを飲んだ夫はすぐに眠り込んでしまい、気がつくと財布とかは持って行かれてしまっていたとか(パスポート、チケットとかは首から下げていて無事だった)。

すぐに警察に届けたのですが、フィリピンの警察もいい加減なものだと思っていた方が良いことがその事件で分かりまhした。

ある意味、日常茶飯事のことだからでしょうか?

二人の警察官を連れて実況見聞にタクシーで出かけたのだけど、タクシー代は夫が払わなければならなかった・・・。

その後、事情聴取をするのにレストランに行ったのだけど、その時の彼らを含めての食事代も夫が払わなければならなかった・・・。

で、事情聴取が全て終わった時、警察官はその場から立ち去り、もろもろの話の説明でテーブルの上に出し置いていた韓国のお金は(韓国経由でフィリピンに行っていた)なくなっていた・・・。

警察官が持って行ってしまっていた。

夫はその段階においてまだ睡眠薬の影響で頭がすっきりしていなかった。

それ以来、一人で旅に出かけなくなりました、というか、行かせませんでした。

それにしても、睡眠薬強盗、これくらいで済んで良かったと思います。

様々に命に係わるひどい話を聞いています。

夫にはいい薬でした。

ついでに、ヨーロッパでよく話されていることを書きます。

道端で苦しんでいる老婆など見かけても親切心で立ち止まり言葉を掛けてはいけない。

たちどまったとたん、すーとどこからともなく車がやってきて誘拐されるから!

私がノルウェーに住んでいた時、ローマで誘拐されてしまった日本の若い女性のお話:

彼女は友人とブティックだかに買い物に行ったのです。

試着室で洋服を試していた時、床が落ちて彼女はそれっきり消えてなくなりました。

つまり、誘拐・・・昔の言葉で言うと人さらい・・・。

アラブなど、今でも白人奴隷等の人身売買もあるようですので・・・とにかく日本の常識を背負っては世界を旅しないことです。

ベトナムに旅した時、現地でのツアーに参加したのですが、ツアー内に3,4人日本人がいました。

世界を旅しているという若い女性にも会いましたが。

次はブラジルに行くと言っていました…日本に帰ることなく。

私たちは無事を祈るばかりでした。

母が生まれたのは鬼ノ城(きのじょう)のふもと my mother's homeland

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母の所へ2日間だけですが,行ってきました。

101歳にしては元気だと思います。

実は出かけた10日が私の誕生日で、母の誕生日である3月18日には出かけられなかったので、一緒にお祝いをしてもらいました。

母と私の名前の入った大きなケーキを母も大丈夫?というくらい食べてくれました。

このところ、母の所へ出かけるたびに母の家には泊まらずホテルに宿泊しています。

弟夫婦にそう面倒もかけられない・・・と言ったところです。

次は8月ごろにまた訪れようかと言っていますが、その時には母のところに泊まるように言われています。

さて、宿泊ですが、ホテルのよって誕生日は割引があったりするのをご存じですか?

ちょうど私の誕生日だったものでいいホテルのいいお部屋に随分安く泊まる事が出来ました。

ラッキー!

ところで、鬼ノ城(きのじょう)って聞かれたことがありますか?

桃太郎伝説の舞台となったところと言われています。

母はそこで生まれ、幼い時に総社市の現在住んでいるところに移り住んだのです。

この度の訪問でも鬼ノ城の話が出ましたが、現在も母の生家がそこにはあるそうです。

ご先祖様が何かの時に・・・と子孫のために埋蔵金を埋めている、とかの言い伝えもあるのですが、本当のところはどうなんでしょうか。

私はその家どころかそのあたりに行った覚えもないのです。

絶対に出かけてみないといけませんよね。

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鬼ノ城は7世紀でしたかに建てられたお城、日本100名城にも数えられているそうです。

こんな風に整備されたのはそんなに何年も前のことではないと思います。

ハイキングコースとかにもなっています。

弟の言うにはこの山を家から見ると晴れた日にはこの城門も見えるとか。

そして、逆にこの城門、鬼ノ城、この山の頂上からは遠く岡山、倉敷などなど南の岡山平野が見え、運がいいと小豆島まで見えるとか。

岡山県ではなく香川県ですよ。

そんなに鬼ノ城の辺りは標高が高かったかと思い聞いてみたら、あの辺りの中国山地は400mくらいがずっと続いているとの返事でした。

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この窯は何だと思いますか?

鬼ノ城に住んでいたのは温羅(うら)という人たち。

ふもとの村人たちを随分悩ませていたようです・・・それが桃太郎伝説に。

食料も十分ではなかったのでしょう。

村人を捕まえては食べていたとか。

この大なべ、幅やく2m、高さ約1mを使って煮ていたとか。

本当なんでしょうか。

母はこのかまどの近くでいつも遊んでいたと言っていました。

史書には詳しくは述べられていないお城とかです。

まだまだ調査中のお城だからでしょうか。

 

母に会いに visiting my mother

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明日、夫と母に会いに行きます。Tomorrow I'm visiting my mother with my husband.

用意で今忙しくしています。And I have been busy for last few days.
少なくとも来週の火曜日まで記事のアップはできないと思います。 I don't think I could write again till this coming Tuesday.

SORRY!