Typhoid Mary 1870?~1938
この女性の名前を聞かれたことがありますか?
と言うより、typhoidてどういう意味だと思われます?
さて、この女性どんな作業をしているところだと思われますか?
答えはこの記事の一番最後に・・・。
typhoidとは腸チフスのことです。
彼女は腸チフス菌保菌者、病気の伝達者として名をはせてしまった女性です。
本名はMary Mallon。
1888年にニューヨークで腸チフスが猖獗を極め、保健所はその保菌者を必死に追ったところ、やっとMaryと言う料理人が突き止められたのです。
1906年に流行した時も何たることか、再び彼女が捜査線上に浮かびましだ。
この時から「保菌者」は男でもTyphoid Maryと呼ばれるようになりました。
ところで、私がこの名前に関して驚いたことがありました。
と言うより、その名前を初めて知ったのはその驚いた時だったのです。
妹は医療関係の仕事をしていましたのでその辺のことは私よりはるかに知識があるのです。
彼女と旅行中に教えてくれました。
40数年前、スエーデン、ストックホルムでのことです。
地下鉄だったと思いますが、駅名にその名前が付けられていたのです。
何かスエーデンの人たちはおかしい、と思ってしまったのですが、いかがでしょうか?
ノルウェーに住むようになってもっとスエーデンの人たちに対してのその感慨は強くなったかもわかりません。
ノルウェーの人たちってあまりスエーデンの人たちのことをよく言いません。
どこの世界でも隣国との関係ってそんなものなんでしょうか?
もうあの駅名は変えられてしまったでしょうか。
世界のどこかの地名、駅名などよく考えると変と思えるのは多々あるのかもしれません。
特に海外ではどんな地名でも意味が分かっていませんから。
世界のどこかでおかしな名前の駅を発見したなんてことありましたか?
ノルウェーの首都、Osloは「福の港」と言う意味です。
Norway はノルウェー語ではNorge 、あるいはNorvegですが、vegとは英語のwayのことです。
つまりこの国の名前はそのものずばりで「北への道」です。
さて、彼女が何をしていたかの答えです。
彼女の職業は料理人だったわけですが、よく見てください。
しゃれこうべを料理しています。
海外のイラストってかなり残酷ですよね。
彼女がどのような生涯を過ごしたか興味がわきますね。
何がなくてもサラダ!
我が国にサラダが伝わって来たのは明治の初頭だとか。
しかし、日本では古来、漬物やあえ物と言った調理法があって、生のまま野菜を食べるという習慣がなかった・・・。
だから、ポテトサラダ以外に庶民がサラダになじむようになるのは1960年以降のことですって。
そんなことをどこかで読みましたが、私は小学生のころ・・・という事は1960年以前ですよ・・・畑でとれたばかりのレタスを随分食べた覚えがあります。
今や日本でもすっかりおなじみになったサラダバー。
これはアメリカが発祥地で、レストランの席に着いたら好きなだけ野菜をとって食べられるようなサービスを売りにしたスタイル。
もともと米国人の肥満対策として生まれたものだそうです。
アメリカで完成したサラダ料理。
サラダが欧米人の食卓に独立した1品料理としての占めるようになったのは、フランス革命後の18世紀と言われています。
フランス革命は食べ物にも随分と影響を与えたようです。
町に多くのいいレストランができたのもそれからのことですし・・・
なぜ?
また書きます。
革命以前は薬用料理か、あるいは肉料理の後の脂肪分をぬぐうための添え物に過ぎず、レストランのメニューにもサラダと言う品目は見当たらなかったそうです。
この様にヨーロッパ生まれのサラダですが、塩味だけのそっけない水っぽい食べ物だったようです。
ところが、この食習慣が米国に渡った19世紀の半ばからサラダは独立した料理へと変身しました。
アメリカ人の食生活はローストビーフの塊にあり合わせの野菜を添えただけと言う簡素な内容。
火を通した調理には投げやりなくせに、なぜか生野菜を美味しく食べる事には傾注したようで、こうして様々なサラダソースが開発されていきました。
野菜サラダソースの代名詞におなっているフレンチドレッシングもフランスで草案されたものではなく1884年、れっきとした米国生まれのドレッシング。
フレンチの名前はフランス人が考案したともフランス料理の前菜に使うのがふさわしいからとも言われるようだけど、定説ではないようです。
ドレッシングを混ぜている間は電話にも出るな、と言われるほど、ドレッシングつくりは大切なようで、西洋のことわざにこんなのがあります:
サラダを作るには4人が必要
脂を入れる浪費家、酢を入れるけちん坊、塩を入れる顧問弁護士(顧問)、それらを混ぜ合わせるための狂人
つまり油はたっぷり、使うが、酢はちょっぴり、塩加減は微妙に判断し、最後に一気呵成に混ぜ合わせるというサラダつくりのコツを言い表したもので、日本でいう飯炊きのコツ「始めちょろちょろ、なかぱっぱ、赤ん坊泣こうが蓋とるな」のサラダ版といったところ?
私としては、こう毎日暑くては、他のものはなくてもサラダがあれば・・・と思ってしまいますが、皆さんはいかがでしょう?
水上人形劇 water puppet show
水、と言えば少しは涼しい感じがするかなあ、と思い、今日はベトナムの水上(と言うのでしょうか?それとも水中?)人形劇のおはなしです。
夫と私もハノイに滞在した時に劇場に見に行きました。
ホテルがまあ近かったので良かったですが、南国特有の夕方、夜の夕立で帰りは大変でした。
観光客に大盛況でもっといい席が欲しかったのですが、2回の真ん中位になってしまいました。
この人形劇は11世紀くらいから続いている伝統的なものだそうで、ベトナムの民俗村などに出かけてもその一角に劇場とそれに続く水を張ってあるプールがあり、ああ人形劇を見せてくれるんだなあ、と察せられます。
この元々の人形劇は水田で行われていたものらしいです。
日本でも田楽とかありますもの、やはり余興としては、人間同じようなことを考えてしまうのでしょう。
ポルトガルリスボンで人形ミュージアムに行ってみましたが、インドネシアのマリオネット風の人形の展示はあったもののベトナムのものはありませんでした。
ロンドンではかなり大きな人形の博物館があります。
日本の文楽人形も展示されていました。
この博物館のドールハウスは圧巻です。
さて、ベトナムの水中人形劇の話に戻ります。
その人形劇を水の中で行っている人たちが劇が終わると、皆、楽屋裏、あるいは水の中から現れて挨拶をしてくれたのですが、下にあるのはその写真です。
私はなかなかたいへんなお仕事だと思いました。
よどんでとても清潔な水とは思えなかったので。
ベトナムに観光に行かれることがあったらお勧めです。
ベトナムの人たちって人なつこくっていい人たちと思いました。
人形劇だけでなく歴史的な何かを見せてくれる各国の劇も興味深いものです。
ディナー付きでの北京の京劇、バンコクでの舞踊劇・・・バリ島にもありますね。
圧倒されたのはフランスのお城での野外劇・・・ジャンヌダルクが馬で駆け抜けました。
海外旅行・・・今は思い出に浸るのみです。
旅の形
お好きな旅の形・・・どんなスタイルですか?
今までかなりな量の旅をしました。
ツアーグループに入ったり、個人で行ったり、それぞれに雰囲気が違っていてどの旅行も楽しめました。
私自身はいつも同じはずなのにどこへの旅か、誰と一緒か、夏か、冬か、グループか、などなどで私自身も違ってくるんですよね。
旅って不思議です。
ただ、どこに行こうと、誰と行こうと、一つだけ変わらないものがあります。
何だと思われます?
知人にそれを言うとそんなことをしちゃあいかん、と説教されました。
捨てるものはどこで捨てても同じだと思うのですが、いかがでしょう?
作家椎名誠さんもある本の中で下着だけみたいでしたが、同じことをしている様な事を書かれてました。
そうなんです、私たちは旅行中に着ては捨てて帰るものしかスーツケースに入れて行かないのです。
だから私たちの旅の服装はいたってカジュアルです。
私の勝手な思いですが、海外を旅するにはカジュアルな方が良いのです。
そうしないと泥棒さんに目を付けられます。
何で日本人て旅行用に服を新調してまでして、美しい服を着なければいけないと思うのだろうか。
お古で申し訳ないなあ、と思いながらもらってもらったこともあるし・・・中国とか、トンガとかでした。
いいのは行くときはスーツケースはいっぱいですが、旅が進むうちに徐々に隙間ができて、お土産の場所ができること。
それに帰国してもほんの少しの洗濯ものしかないこと。
いまはコロナ禍で旅行どころではないですが、次の旅のためにスーツケースに少しずつそんな服が入りつつあります。
悪いのは、その分、旅行に行かない限り家の中が片付かないこと。
旅のスタイルは人さまざま・・・一生懸命写真を撮っている人、買い物を頑張っている人(どこに行っても何か買っている!)、絶えずメモを取っている人・・・
B5より少し小さかったかなあ、スケッチブック様なメモ帳にメモする、スケッチをする、で忙しそうでした。
手にメモ帳を持てない時にはポケットの中に手を入れて書いているとかでした。
それくらいにしていないと家に帰ったらもう忘れてしまっているから、と本人は言っていましたが。
あらためて読むことはあるんだろうか、などと思ってしまいました。
来年は絶対にトルコへ・・・と夫は言っているんだけど、本当に行けるのでしょうか。
ハンディキャップ
昨年、夫は心臓手術をし、市の方から身障者用のカードを受け取るやらで、今はどこでもありがたくこのマークの所を使用させてもらっています。
電車、バスでは高齢者という事でその優先席に座っていいことになっていますが、余り座りたくもないですね。
皆さんはいかがでしょう?
かと言って、若者が堂々とそんな席に座っていると、何を考えているんだ?と思ってしまいますが。
タイだったか、電車とかバスの席が空いているとまず子供に座らせる・・・そんな光景を何度も見ましたが、あれは賛成できないように思いました。
ノルウェーでは高齢者が乗車すると、若者は何も言わず立ち上がります。
さて、今日はハンディキャップのお話です。
ハンディキャップは物々交換の習慣から生まれました。
中世のイギリスでは物価の等しくない品物を交換するハンド・イン・キャップhand in cap 手を帽子の中に入れ、と呼ぶ習慣があったのです。
物々交換をする当事者は、まず審判役を演じる人を探しhand in cap、審判が始まると、その審判を含めて3人とも補償金を帽子の中に入れる。
この審判は物々交換の対象品のうち、どちらかの方が価値が低かった場合、交換を公平にするにはどれくらいの金を付加しなければならないか、を決めることを要求されたのです。
審判が付加をすると、2人の当事者はポケットに手を入れます。
(お金は入れませんが、なんかここ下関の昔ながらの魚のセリの風景、二人は袋の中に手を入れ料金を決める・・・と言う伝統的な習慣を思い出しました。)
この時、あらかじめポケットの中にお金を入れておいて、判定結果を聞いてポケットの中からお金を出してみれば、審判に決定を承諾した合図になったのです。
2人ともお金を見せれば取引は成立し、帽子の中の保証金は審判のものになる。
もし、一方のみがお金を見せれば、物々交換は不成立で見せた方が保証金をとる。
両方ともお金を出さなければ取引は流れて審判がお金をとる。
そんな具合でした。
17世紀になってhand in capの制度が競馬に適用されるようになりました。
体重のばらつきをなくし公平をきすために、馬に荷重を与えて公平にすることをハンディキャップと言うようになり、人間に不利に作用する要素を言うようになったのです。
一日に一口も野菜が食べられなかったらどうします?
サラダの美味しい季節ですね。
皆さんは何サラダが一番お好きですか?
我が家で最もよく食べられるのはオリーブ、玉ねぎ、トマトにオリーブ油のドレッシングをかけたもの。
刺身用の魚もサラダにしてしまいます。
銘々皿に刺身としてよそうより簡単だから。
それをもう少し小さめに切るとスパゲッティに混ぜ込んだりします。
イタリアンです。
なにしろ、下関の魚は新鮮でおいしいですから!
人類が生野菜を口にするようになったのはいつごろからなんでしょう。
そんなことを考えたものの、野暮な問いですね。
人類がそれを食べるようになったのは、人類がこの地で生きるようになった時からに決まっているではないですか。
最初は火もそう簡単に手に入らなかったでしょうから。
今日、最高のサラダ菜と言われるレタスは、イラン高原が原産地のようです。
すでに紀元前6世紀にはペルシアで栽培されていたことが記録されています。
その後、ギリシアを経てローマからヨーロッパ全域に広まって行きました。
古代ギリシアでは前3世紀ごろ、また、ローマ時代の「農業所」ではすでにキャベツと共にレタスの生産が奨励されていたとか。
とりわけキャベツが腸の働きを助ける薬効が最もある野菜とされ、「香料ヘンルーダーと刻んだコリアンダー、すりつぶしたアギ(人参の一種)を一緒に合わせ、蜂蜜で味を付け塩をふりかけて食していたようです。
この薬を用いたら全ての関節は完璧だ」と言われていたのです。
事実、18世紀ごろまでのヨーロッパでは生野菜は他のハーブや薬草などともに「薬効」のための食べ物と言う先入観でみられていました。
ドレッシングというような手の込んだものはなく、生の葉にただ塩を振って味付けするだけ。
サラダの語源がラテン語の塩を意味するサールから転じたサラータ(塩漬けにする意)・・・これが全てを明白に物語っていると思いませんか。
ちなみに、古代ローマ時代、兵士が塩サールの代金として支給された俸給をサラリーと言いました。
中世になると、塩だけではいかにも芸がない、と考えた人がいたのでしょう。
生野菜にかけるものは塩にオリーブ油とレモン汁(すでに我が家と変わらなくなった!)などが使われるようになり、現在のサラダに近付いています。
野菜やハーブの豊富な地中海沿岸に比べると、北西ヨーロッパの野菜の種類は乏しく、12世紀の英国では新鮮野菜として通常入手できるものと言えば、エンドウ、インゲン、ニラ、サトウダイコンの4種類に過ぎなかったそうです。
16世紀前半のヘンリー8世の治世でもニンジン、レタス、キャベツ、大根と言った極めてありふれた野菜でさえ栽培されておらず、オランダから輸入されるというありさまだった。
してみると、ノルウェーなんかどんなに野菜が乏しかったか、想像がつくというものでしょう。
それにしても慣れと言うのは恐ろしいですね。
彼らは一日に一口も野菜がなくても平気な民族なんですから。
英語では、作り上げられた料理としてのサラダだけでなくサラダに使う野菜はサラダと呼びます。
今日はFriday 金曜日、私の一番好きな日かも・・・
皆さんの一番好きな曜日っていつでしょう?
生徒の皆さんはたいてい口を揃えて、毎日が日曜日祝日だからどの日も一緒だと言います。
お仕事をやめたらそうなるのでしょうか。
私は金曜日が週の一番最後の仕事日で土曜から4日休みがあります。
だから、金曜日の夕方ともなると何となく心が落ち着きます。
今日は金曜日のお話です。
この金曜日Fridayと言う言葉は北欧神話の女神Friggに因むそうです。
彼女は主神オーディンの妻で、愛・豊穣・女性の守護神。
ローマのヴィーナスやギリシアのアフロディテに相当するのだそうですよ。
また、このFrigg はfree自由と言うごとと関連します。
ノルウェー語では金曜日はFredagと言いますが,そのまま意味がとれるでしょう。
Fridayに因む語として 、Black Friday不吉な金曜日と言うのはキリストが金曜日に処刑されたから、とかく不吉であると言われるため。
Friday,the Thirteenthなんて忌み嫌われている言葉もありますよね。
また、Good Friday聖金曜日、受苦日は復活祭の前の金曜日でキリストの十字架の受難を記念する祭日です。
man Friday忠実な僕の意は、デフォーの『ロビンソンクルーソー漂流記』の中で主人公が金曜日に助け出した土人をこう呼んだことから一般に使われるようになりました。
今では、これがさらに一般化され、girl Fridayなどとして「よく働く女中、女秘書、女事務員、オフィスガール」を指すまでになっています。
それにしてもこのロビンソンクルーソーの挿絵は何かおかしいですね。
黒人の頭にはインディアンの飾りがある・・・
ロビンソンクルーソーがたどり着いた島はアメリカではなくアフリカの近くのはずなのですが。
大学の論文でロビンソンクルーソーのことを書きました。
オリジナルのお話は、子供たちが読む物語とは大違いで、ロビンソンクルーソーがどんなに下僕、召使、奴隷(これらの言葉が言葉を替えて何回も書かれています)を欲しがっていたか、そしてフライデーを助けた時、自分の奴隷が手に入ったとどれほど喜んだか・・・
結局、このお話は当時の世相を反映したものです。
デフォーて相当上層思考の強い人でした。
本当はただのフォーさんなのですが、フランス人貴族の様な名前にし、気取りたくて改名、そしてdeを付けたのです。
彼の家の家業は肉屋であった、メリヤス問屋であった事もありました。