東京オリンピック Olympic Games
コロナ禍でどうなるのかと思っていましたが始まりましたね。
知り合いにも気合を入れて何年も前から一生懸命になっている人がいます。
英語教室の生徒さんですが,クラスには10年間参加され、一昨年、次の目標を目指して退会されました。次とはこのオリンピックです。ボランティア通訳として東京まで行かれることは決定していたのですが、昨年は、私もどうなることかとやきもきしていました。今は、張り切って東京まで出かけられていらっしゃるようです。
現在72歳の男性です。本人も国体でメダルを獲得したりの経験がある方なので英語も話せるようになったし、今大会には思い入れがあるようです。
何年も前のことになりますが、聖火リレーをプサンで見たことがあります。という事は韓国でオリンピックがあった年に夫と私は韓国へ旅していた、という事ですね。
でも、リレーに対しての、熱狂的な韓国の人たちのすごい応援の中、私たちは煙だけを見た、と言うのが実際のところでした。
ロンドのリンピックがあった年の春には、イギリスに旅しており、聖火リレーを目にすることができました。名前は忘れましたが、走っていたのは有名なアスリートだという事でした。
それから、ノルウェーのリレハメル(ノルウェー語ではリレハーマーです。lilleとは小さいという意味です。その街のすぐ隣にHammarと言う町があるので。ちなみに、もう亡くなりましたが義母はその町の近くに住んでいました。)で冬季オリンピックがあった時には、ノルウェーに行っておりました。オリンピックが済んだ次の日に帰国の途に着いたのですが(その時は私は一人で行っていました)、オスロ空港までの道、あれ程の数のタクシーが走っているのを見たのは初めてでした。
空港では問題を起こしたあのTonya Hardingがジャーナリストにインタビューを受けながら、私の前を通り過ぎるのを見たり…いろいろなことが起こりました。彼女、意外と小柄な人でしたよ。
Luft Hansaドイツ航空に乗ったのですが、フランクフルトまで日本、長野市の市長さんご一行とご一緒でした。オスロ空港では一緒に写真を撮らせていただきました。
ご一行はフランクフルトからは東京便に乗り換えられ、私は関西行の便だったのでそこでお別れしましたが。
娘のオリンピックの思い出はもっとでかい、と思います。
彼女は中学生時代にある懸賞に当たってバルセロナオリンピックに行き(パリのディズニーランドにも連れて行ってもらってます)北京オリンピックではまたもや・・・でした。