鎖chains
昨日は変な天気でしたね。
青空が見える様になり日が照りだしたと思ったら、またすぐに大雨になってしまって。
2週間前くらいでしたか、ある日そんな天気の日がありました。
あの日は窓の外がオレンジに染まっていったい何事が起ったのか、というくらい違った風景がありました。
私はうっかり見損なったのですが、そのオレンジ色の世界の後、美しい二重の虹が空には広がっていたとか。
久しぶりの🌈だったのに残念でした。
それが昨日も二重の虹が出たんですって。
クラスにやって来た中学生の生徒さんが自分で取ったんだ写真をと見せてくれました。
皆さんのところでも虹が見られましたか?
虹の話の後は、ちょっと暗い話・・・いわば昨日の記事の続きです。
鎖という言葉を聞いて皆さんは一番に何を連想されますか?
私は鎖骨です。
鎖骨がどうして「鎖骨」と呼ばれるかという記事を読んだ時、私はそれはとても人間の仕業ではないと思ってしまいました。
これは古代中国でできた言葉ですが、昔、罪人が逃げられない様に体のその骨の部分に穴を開け鎖を通していたことからその骨をその名で呼ぶようになったそうです。
そんなものを直に付けていると痛いだけでなく細菌やらでそう長くは生きられなかったのではないかと思います。
それともそういう風に計算されてのことでしょうか?
鎖骨を英語ではそのままcollar boneと言います。
人間が同じ人間を鎖でつなぐなんて本当に恐ろしいことだと思います。
さてこの絵から連想できるのはやはり黒人奴隷のことでしょうか。
数年前、私の知人(元生徒さん)がご主人の仕事の関係でナイジェリア、ガーナで1,2年住まわれました。
その間、彼女は黒人たちが集められ、奴隷としてアメリカに送り出される前に入れられていた洞窟を見に行った、と教えてくれました。
彼らはそこに閉じ込められ自由だったのは穴から見える、もうすぐ彼らが旅立とうとしている大洋だけを見る事だったとか。
その場所は悲しみや怒りがいっぱい詰まっている場所だと思います。
文化が違う、宗教が違う、肌の色が違う、とくれば世界は充分差別の対象になるのです。
ヨーロッパの人たちはアフリカは文化が遅れた地だと言いました。
一つには焼き畑とかをしているからだと。
文かcultureのもとの語源はcultivate耕すという意味です。
アフリカは農地を耕さず焼き畑などで作物を作るから文化がない、というのです。
本当は彼ら、アフリカの地では焼き畑での農耕の方があっているのです。
ヨーロッパ人は他の文化に対して決して理解を示そうとはしません。
いまでもそうですよ。
理解をしようとの努力どころかパスしてかかわりたくない、という人を多く見かけました。
日本人は海外、特に欧米人に甘いなあといつも思っています。
さて、先ほどの「計算」という事ですが、数年前、ポーランドのアウシュビッツに行った時のことです。
やはり、メディアなどで読んだり見たりするより実際の場所を目にすると様々な感慨がありました。
アンネ・フランクのお父さんは彼女の家族の中ではただ一人その死の収容所から生還した人ですが、それは彼らがその地に送られたのはその地に向かう列車としては最後かその前のものだったから。
収容所では一日に小さなパン一切れと腐った野菜から作ったスープしかもらえなかったとか。
収容所の中は劣悪で衛生状態は相当悪かったと思いました。
収容所内のどのベッドも板張り(あるいはコンクリートのところも・・・ベッドというのではなくただそこで寝なければならなかったという事です)、そして狭いが2人で共有しなければならなかった、という状態。
あの寒いポーランドです。
「計算」という事から少し外れてしまいました。
彼らは収容者はそこについてから3か月だけ生きる、というように計算されていたとか、そんな話を聞きました。
「シンドラーのリスト」とか沢山のナチス関係の映画も見ました。
でも、実際はもっとひどかったんだと思います。