ヒッチハイク hitchhike
ヒッチハイクをしたことがありますか?
私と夫はトルコまでヒッチハイクで行ってしまったのです!
こんなことを書くと、そんなことできるはずがないだろう、と言われると思います。
おまけに、夫はそれが私たちのハネムーンだったというのですから。
ヒッチハイクで、というところを聞いてない人はすごい豪華な旅行をしたんだ、と思われるかもしれません。
これを聞いた両親や妹たちは「よくも、まあそんなところまでヒッチハイクで・・・」といっていました。
結婚式を挙げたその月に、夫と私は3日だけのハネムーンにデンマークに出かけました。それは3月のことでした。
でも、それだけでは物足りなかったのでしょう。
同年の5月からのトルコ行が夫にとってはハネムーンでした。
私たちは学生結婚をしました。
夫の試験が終わった次の日、「さあ、夏休みだ!」とばかりにトルコを目指して出かけました。
実際トルコまではどれだけ日数がかかったのだろう。
もう忘れてしまいましたが、デンマーク、ドイツ、オランダ、、再びドイツ、オーストリア、そして、旧ユーゴスラビア、ブルガリアと徐々に下りトルコに到着したというわけです。
途中のドイツ、オランダでは友人のところに数泊ずつ滞在しました。
ユーゴに着くまで、ずーとではなかったですが、本当にヒッチハイクをしました。
ドイツのアウトバーンはヒッチハイクして乗せてくれたトラックの助手席でした。
前の戦争中はアウトバーンは…などと考えながら走っていました。
あれってヒットラーの遺産ですものね。
ユーゴ、ベオグラードからあのオリエント急行に乗って一路イスタンブールへ・・・でした。
付いたイスタンブール駅はぎりぎりでまだ古い駅舎がある時でした・・・アガサ・クリスティーの「オリエント急行殺人事件」に出てくるような。
列車はブルガリア経由で、あの当時、共産圏に入った途端に西ヨーロッパとは違う、暗いと思ったものでした。
貧しいと思いました。
オランダの友人のところでもドイツでも(2家族)ヒッチハイクはよろしくない、と言われました。
でも、様々な人たちに会い、今となっては絶対にできないいい経験をさせてもらったと思っています。
若いからできたんですよね。
イタリア、トリノでは日本人がヒッチハイクなんて本当に珍しかったのでしょうか、私を見つけてしまったある車の運転手がこちらに気を取られてしまったようで、とうとう3台の車の衝突事故に発展していました。
悪いことをしてしまいましたね。
ノルウェーには2か月後に帰ってきました。
さて、ヒッチハイクですが、これって本当はただ乗りのことではないんですよ。
どうしてそんな意味にまで変化したんでしょうね。
hitchhikeは18世紀のアメリカで始まったとか。
そしてもともとは2人の男が1頭の馬で旅をする方法の呼び名だったそうです。
まず、2人のうち、1人が馬に乗り、もう一人は徒歩でテクテク行く。
そしてある距離に達すると馬に乗っていた人は馬を止め、その馬を木につなぎテクテク歩き出す。
この馬をつなぐことをhitchと言ったのだそうです。
やがて追いついた徒歩で来ていた人が馬に乗って歩き出す。
そしてある距離に達するとヒッチし歩き出す。
これを連続して順繰りに行う事、ヒッチハイクとはそんな旅の仕方を言ったのだそうです。
旅の仕方も年を経るとともに変化したものですね。
journeyなどについても、また、お話したいと思います。