源平ナイト おいでませ下関へ
下関へいらっしゃったことはありますか?
私たちがここ下関に住むようになって30年ほどになりますが、下関というところは皆さん控えめと言うか、観光とかにも私に言わせば全然熱心でないのです。
誰も何もしない、という感じです。
コロナ以前は時に大型客船が港に着いたりで多くの観光客がどっと・・・という事もあったようです。
皆さん下関は素通りで博多などへ行ってしまう、と地元のビジネスマンは嘆いてもいますが、じゃ、それに対して何かするのかと思えば、やはり全然なのです。
例えば、この写真は市内唐戸市場のすぐ近く、赤間神宮で行われているパフォーマンスですが、地元の人間でさえ、そう知らないのです。
私も最近そういう事が行われている、と知ったばかりです。
赤間神宮は源平の戦いの後、その戦いでなくなった平家の人たちを祭った神社です。
耳なし芳一のお墓もあります。
このパフォーマンスではその源平の戦いやら、耳なし芳一のお話、戦いの後、女郎さんに身を落としながらも戦いで命を落とした平家の人たちのお墓を祀り、守り、参り続けた平家の女性たち、そして明治維新の騎兵隊などなどのストーリーが赤間神宮の正面の石段を舞台として演じられるようです。
毎日でも、毎週でもないようですが、無料です。
見に来てあげてください!
『源平ナイト』と検索されれば詳しいことがお分かりになると思います。
次は3月に催されると聞いています。
最後の写真の真ん中の人が耳なし芳一です。
パーフォームしている人のうち一人が私の生徒さんです。
その人から私自身も初めてそのパフォーマンスについて知ったのです。
下関の前世紀の名前は赤間が関でした。
赤間が関ってそう有名ではなかったのでしょうか。
以前、食物関係の本でそれを著した大学教授が赤間が関が日本で水産物水揚げ量が一番と資料にある、これはおかしい、下関のはずだが、などと言っていたのを思い出します。
横道にそれましたがこの神社の名はその地名から来ているようです。
関って英語で言うとtollです。
本州から九州へ、九州から本州へと渡る人々をチェックする重要なところだったようですね。
近くに中関、上関というところもあります。
ところで、歴史ではここ下関の壇ノ浦で幼い安徳天皇は入水し亡くなったとされています。
ここから先の話は学校では習いません。
後にご遺体は1,2キロ先の彦島(壇ノ浦から西方に行きます)で漁師の網にかかって発見されたそうです。
お墓もちゃんとまつられています。