人生観 view of lifeが変わる?
皆さんは今までの人生で何かが起こったために、あるいは何かを見たために人生観が変わってしまった、とかの経験はありますか?
私は人が人生観云々の話をすると、さて私は?と考えてはみるのですが、これってなにもないんですよね。
鈍いんだろうか?
人によって何が心に訴えるか、何か感じるかは違ってはいると思います。
人生観という事でインドのイラストを付けてみたのですが、このイラストはかなり明るくて人生観を語る絵には程遠かったでしょうか。
それにしても、インドに行った人は何か考えてしまうことを多く見出すようです。
夫は40数年前、日本での留学を終えて国に帰るのに南アジア、それに数か国のヨーロッパを回ったのですが(本当はもっと回ることになっていたのだけど、イタリアですりに会いスーツケースのカギや様々に失くしてしまって、スーツケースが開かなくて、寒くなっても着る服がなく、あきらめてさっさとノルウェーに帰ったのです。暖を取るために外側の服の下に新聞紙を着たとか。今、そんなことをして税関で見つかったら怪しい人に見られる?それに、開けるように言われてもスーツケースを開けられないんじゃあ、ますます怪しむべき人に見られる?)、インドは、特にボンベイはこの世の地獄だったと言っていました。
親が「立派な物乞い」を創り上げるために自分の子供の眼をくりぬいてしまっているのを見たとか、様々なことを見たようです。
ガンジス川の話はよく聞きますが、実際に見聞するとそれ以上のものがあるのでは、と思います。
で、私をインドに連れて行くなどという話は一度もありませんでした。
同じように思える国でもネパールはいい国だったと言っていました。
人の性格ももっとゆったりしていてインド人より信用できる、なんて言っています。
インド、少しは豊かでモダンで美しくなったでしょうか。
知人なんかインドが気に入って何回も行っています。
イタリアで人生観が変わったという人もいます。
それにカナダの秋の紅葉した木々、森を見てから人生観が変わったという人も。
それぞれに同じものは見えないはずです。
私は何を見てどう人生観が変わったのだろうと、想像するだけなのですが。
想像できますか?
人それぞれのバックグランドによっても同じものを見ても感慨は同じではないはずです。
インドは余りに貧しいから?
底辺カーストの生きざまを見たから?
私はそんな人たちを見ると悲しくなってしまうでしょう。
しかし、それが私の人生観を変えるとは思えないんですよね。
イタリアは彼らが陽気すぎるからでしょうか?
周りを見回すと全てが芸術品、美術品に見えてくる国・・・。
生きている歴史の重さを感じるからでしょうか?
トレビの泉なんて恋人たちのたまりばでした。
それは日本では見られない人生の一部?
(前回、行った時には世界中のツーリストが多すぎて恋人たちの影は薄かったかも・・・です)
カナダでは自然の大きさ、荘厳さを感じるのでしょうか?
私には分かりません。
私の以前の生徒さんで若かった時に、世界のあちこちを旅し、インドではお姫様のお城に半年居候した、という人がいました。
彼、今、70代ですが、旅において何か考えることがあったのでしょうか、ずっと独身を通していらっしゃいます。