母が生まれたのは鬼ノ城(きのじょう)のふもと my mother's homeland
母の所へ2日間だけですが,行ってきました。
101歳にしては元気だと思います。
実は出かけた10日が私の誕生日で、母の誕生日である3月18日には出かけられなかったので、一緒にお祝いをしてもらいました。
母と私の名前の入った大きなケーキを母も大丈夫?というくらい食べてくれました。
このところ、母の所へ出かけるたびに母の家には泊まらずホテルに宿泊しています。
弟夫婦にそう面倒もかけられない・・・と言ったところです。
次は8月ごろにまた訪れようかと言っていますが、その時には母のところに泊まるように言われています。
さて、宿泊ですが、ホテルのよって誕生日は割引があったりするのをご存じですか?
ちょうど私の誕生日だったものでいいホテルのいいお部屋に随分安く泊まる事が出来ました。
ラッキー!
ところで、鬼ノ城(きのじょう)って聞かれたことがありますか?
桃太郎伝説の舞台となったところと言われています。
母はそこで生まれ、幼い時に総社市の現在住んでいるところに移り住んだのです。
この度の訪問でも鬼ノ城の話が出ましたが、現在も母の生家がそこにはあるそうです。
ご先祖様が何かの時に・・・と子孫のために埋蔵金を埋めている、とかの言い伝えもあるのですが、本当のところはどうなんでしょうか。
私はその家どころかそのあたりに行った覚えもないのです。
絶対に出かけてみないといけませんよね。
鬼ノ城は7世紀でしたかに建てられたお城、日本100名城にも数えられているそうです。
こんな風に整備されたのはそんなに何年も前のことではないと思います。
ハイキングコースとかにもなっています。
弟の言うにはこの山を家から見ると晴れた日にはこの城門も見えるとか。
そして、逆にこの城門、鬼ノ城、この山の頂上からは遠く岡山、倉敷などなど南の岡山平野が見え、運がいいと小豆島まで見えるとか。
そんなに鬼ノ城の辺りは標高が高かったかと思い聞いてみたら、あの辺りの中国山地は400mくらいがずっと続いているとの返事でした。
この窯は何だと思いますか?
鬼ノ城に住んでいたのは温羅(うら)という人たち。
ふもとの村人たちを随分悩ませていたようです・・・それが桃太郎伝説に。
食料も十分ではなかったのでしょう。
村人を捕まえては食べていたとか。
この大なべ、幅やく2m、高さ約1mを使って煮ていたとか。
本当なんでしょうか。
母はこのかまどの近くでいつも遊んでいたと言っていました。
歴史書には詳しくは述べられていないお城とかです。
まだまだ調査中のお城だからでしょうか。