journey to Iwakuni岩国への旅

先日の週末には岩国に行ってきました。

岩国って山口県内にあってなんか広島とひとまとめで考えてしまうようなところです。

前に一度行ったことがあったのですが、相当昔・・・

夫にとっては40数年前、私には実に63年前のことでした。

小学生の時です。

実家は岡山、当時は小学校の修学旅行は広島方面だったのです。

当時、岩国では錦帯橋と米軍岩国基地を訪れました。

基地は降車することはなく、バスの中からだけの見学でしたが、担任の先生が

車内から内緒で基地を8ミリフィルムに収めていたのを覚えています。

そんなにたくさんでなく、ただ基地の人たちの家とか軍の飛行機が飛び立っている映像だけでしたが、あれだけでも見つかれば没収という事になったのでしょうか。

何しろ、戦後ほんの14年頃のことでしたから、アメリカ側からは日本に対してまだまだ厳しい制約を課していたのだと思います。

広島では今も原爆で亡くなられた方々の骨が土の中から出てくる、と話に聞く市内のお寺がある公園・・・名前は忘れました・・・それに原爆病院を訪れました。

今もその時のことをはっきり覚えています。

50代だったのでしょうか、入院している女性が私たちに原爆が投下されたときの話をしてくださいました。

暗い感じの5階建て位の病院だったと思います。

まさかあの建物はあの爆弾に持ちこたえたものとは思いませんでしたが、それにしては古く見えました。

郊外にあったものでしょうか。

今も同じところに病院は立っているのだと思います。

長らく、それ以来も原爆病院の名前は聞きましたから。

日本国中で小学校の修学旅行って行先は様々だと思います。

皆さんのところではいかがですか?

山口県の中学生たちは十年くらい前は九州(平和学習という事で長崎も含めて)でしたが、現在の学生たちは関西へ…らしいです。

もっともコロナ禍で今年は九州に変わったと言っていましたが。

それにしても岩国も広島も随分変わりました。

暗いイメージなんてどこにもない。

岩国も基地の街で海外の人たち(ほとんどがアメリカ人だと思います)がいたるところにいました。

沖縄と同様に基地があることの弊害はあるのでしょうが私が沖縄を訪れての思いとは違い、岩国は明るいと思いました。

基地ゆえにリッチにも見えましたし。

潤っているところが多々あるのだと思います。

それにしても、錦帯橋は不思議な橋ですね。

江戸時代に中国の島から島へとかけてある橋をモデルに造られたのだそうです。

錦帯橋の後は、すぐ隣にある公園やら岩国城などを見学しました。

岩国城へはロープウェイであがれます。

セットでチケットを購入しました。

ぐっと割安です。

で、次の写真は岩国城です。

緑の林、森の山のてっぺんにお城はあるのですが、ちょっとした運動でした。
歩いていて怖いと思ったのは「マムシに注意」の看板、いたるところにありました。

次の写真は白蛇。

白蛇の卵も展示されていました。

蛇の卵って見られたことがありますか?

私が小学生の時、学校への生き帰りで見た川端の蛇の卵に比べ白蛇のは数倍大きいと思いました。

白蛇も思ったより大きかった。

2メートルくらいはあったでしょうか。

「白蛇の館」と呼ばれる展示施設の内部です。

ところで、journeyて元々はフランス語ですが、語源的には旅がちょっとしたところへ出かけるにも1日がかりだったことの名残のある言葉です。
どこに行くにも馬車、そして朝早く出かけても夜にしか帰ってこられなかった昔・・・
jourて英語のdayに当たるフランス語です。
journalと言えば日誌、日記のことです。