何がなくてもサラダ!

我が国にサラダが伝わって来たのは明治の初頭だとか。

しかし、日本では古来、漬物やあえ物と言った調理法があって、生のまま野菜を食べるという習慣がなかった・・・。

だから、ポテトサラダ以外に庶民がサラダになじむようになるのは1960年以降のことですって。

そんなことをどこかで読みましたが、私は小学生のころ・・・という事は1960年以前ですよ・・・畑でとれたばかりのレタスを随分食べた覚えがあります。

今や日本でもすっかりおなじみになったサラダバー。

これはアメリカが発祥地で、レストランの席に着いたら好きなだけ野菜をとって食べられるようなサービスを売りにしたスタイル。

もともと米国人の肥満対策として生まれたものだそうです。

アメリカで完成したサラダ料理。

サラダが欧米人の食卓に独立した1品料理としての占めるようになったのは、フランス革命後の18世紀と言われています。

フランス革命は食べ物にも随分と影響を与えたようです。

町に多くのいいレストランができたのもそれからのことですし・・・

なぜ?

また書きます。

革命以前は薬用料理か、あるいは肉料理の後の脂肪分をぬぐうための添え物に過ぎず、レストランのメニューにもサラダと言う品目は見当たらなかったそうです。

この様にヨーロッパ生まれのサラダですが、塩味だけのそっけない水っぽい食べ物だったようです。

ところが、この食習慣が米国に渡った19世紀の半ばからサラダは独立した料理へと変身しました。

アメリカ人の食生活はローストビーフの塊にあり合わせの野菜を添えただけと言う簡素な内容。

火を通した調理には投げやりなくせに、なぜか生野菜を美味しく食べる事には傾注したようで、こうして様々なサラダソースが開発されていきました。

野菜サラダソースの代名詞におなっているフレンチドレッシングもフランスで草案されたものではなく1884年、れっきとした米国生まれのドレッシング。

フレンチの名前はフランス人が考案したともフランス料理の前菜に使うのがふさわしいからとも言われるようだけど、定説ではないようです。

ドレッシングを混ぜている間は電話にも出るな、と言われるほど、ドレッシングつくりは大切なようで、西洋のことわざにこんなのがあります:

サラダを作るには4人が必要

脂を入れる浪費家、酢を入れるけちん坊、塩を入れる顧問弁護士(顧問)、それらを混ぜ合わせるための狂人

つまり油はたっぷり、使うが、酢はちょっぴり、塩加減は微妙に判断し、最後に一気呵成に混ぜ合わせるというサラダつくりのコツを言い表したもので、日本でいう飯炊きのコツ「始めちょろちょろ、なかぱっぱ、赤ん坊泣こうが蓋とるな」のサラダ版といったところ?

私としては、こう毎日暑くては、他のものはなくてもサラダがあれば・・・と思ってしまいますが、皆さんはいかがでしょう?