内モンゴルへの旅

 

 

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中国へは数えきれないくらい旅をしたと思います。まず最初に訪れたのは北京、それからは毎年のように天津、大連、アモイなどに行き、次はもっと首都から離れたところに行くようになりました。天津にホテルを取って北京まで出かけたりもしました。

内モンゴルはそんな旅行を始めてから初めての長距離旅行だったと思います。中国で長距離バスに乗った旅もそれが初めてだったと思います。

北京へ旅していた時のことです。2週間ほどの旅で、半分は内モンゴルへ、という事になったのです。夫が地図を指さしながら、これほど、2㎝位だから遠くない、なんていうもんで本気になって出かけたのです。

最初の2時間ほど、北京を抜けるころまではスムーズだったのですが(その途中、何回か行ったことがあった万里の長城も車窓から眺めたりで、景色は本当に良かったですよ)、その後は細い道を進んだり止まったりで想像以上に時間がかかってしまいました。北京を出たのは朝の9時だか10時だったと思います。やっと終着駅に着いたのは16時間後でした。

でも、やはり、日本人などよりおおらか、というか誰もせかせかしてる人はいないし、途中で車外に出て用足しをする人もいたり・・・とにかくのろのろ走るので、置いてけぼりを食う事はなかったと思います。

途中、有名な北京の長城とはまた風情が違う延々と続く万里の長城を見る事ができました。切れ切れにしか残っていませんが・・・。ああいう高い所から煙でサインを出したりしていたんだなんて思いながら眺めていました。モンゴルの平原地帯も垣間見たし。

途中ちょっとしたスナックが皆に供されました。スナック菓子とピータンでした。

着いた町はホホホットという名前の町。夫の中国語の発音がどうもしっくりこなくてカタカナで書くと本当はこれでは間違いなのかなあ、と思っています。はっきり覚えていないのですが4個の漢字の中にりっしんべんに合という字が書いてある字もあったかと思います。

北京への帰りは寝台列車に揺られて…それでも12時間かかりました。

列車はコンパートメント式で、一つのコンパートメントにはベッドが4個。私たちは幼い子を連れた夫婦と同じコンパートメントでした。

中国は広いです。あらゆる地方から長距離バスが北京を目指してやってくるようです。バスも寝台車のように寝台が並んでいるんですよ(外からその様子が見えます)。

タイでも長距離列車、長距離バスに乗ったことがあります。

列車内では車内販売があり,熱いコーヒー、お茶、それにインスタントラーメンなどを購入することができました。

 

 

ヘブライ語の文字

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世界には様々な文字、その書き方があります。ヘブライ語とアラブ語は右から左に向かって書くのだそうですよ。

それは、昔、木版に彫り込むためにその方が都合が良かったからだとか。

今は、日本語もですが右から書くと手がインキをこすって汚してしまうので英語のように左から右にむかって筆を進める方がいいなあ、と思ってしまいますが。

さて、先日本を読んでいて、ヘブライ文字の興味深い特徴を発見しました。

漢字は一字だけ見ても意味が取れますよね。

良く知らない字でもその字の作りなどを見るとなんとなくんとなく意味が分かったりします。それに比べ、ひらかなやカタカナ英語のアルファベットも一字だけでは意味を成しません。

ヘブライ文字は、本によると3文字セットになると意味を持つようになるそうです。

ところで、ヘブライ文字の S はサラという名前で「銀の火かき棒」が原義です。その形からできたという事でしょう。

夫のお母さんはSaraという名前です。

ノルウェーに住んでいた時、名前辞典で「銀の火かき棒」の意味があるという事を知りました。

s と言う字自体がその意味を持つという事はイスラエルに行くことになって、あれこれ文書を見てから知ったことです。確かヘブライ語にはsは3字あったと思います。1字はshの発音だったと記憶しています。

英語のSaraと言う名前は princessという意味だそうですよ。

そうそう、ヘブライ語にはもう一つ大きな特徴があります。

スペルに母音を書かないのです。それでなお、Abrahamの時代以前からの神の名をちゃんとその当時と同じように発音できるということは驚異的だと思いませんか?

この絵の中のモーゼがデザインしたといわれる燭台はイスラエルの一番小さい価値のコインの絵柄になっています。

 イスラエルの家庭にはもう一つ種類の違う燭台があります。7本ろうそくを立てられるようになっているのではなく、8本です。確か、Hanukkaという祝日用だと効いたと思います。

記念にと思い、私はどちらも買い求めてきました。

イスラエルでの買い物、ってちょっと独特です。やはり「ベニスの商人」のシャイロックの世界ってあるのかなあ、と思ってしまいました。

それについては、また、今度。

猫の名前

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どこかに金太郎と言う名前の猫はいますか?

我が家ではずっと猫がいたような気がします。猫の名前を考えるのも猫を飼う時の楽しみですよね。

黄金色をした猫、つまり、黄色か薄茶色の猫がいつか欲しい、とGolden Boy 金太郎と言う名前をずっとそのいつかのためにとってあります。

今の猫はChere シェリー、フランス語で「かわいい子」です。名前とはかけ離れた(?)やんちゃ坊主です。私はフランス語は喋れないのでCherryと呼んでいます。

前の猫は Macky、あるいはMackでした。

McDonald のmcもそうですが、「息子」という意味です。

この猫がその名前をもらったのはもう一つ理由がありました。サバ猫で、背中にサバ柄があったのです。つまり、mackerelサバの mackでもあったのです。

昔からよく聞く猫の名前はミケとか、たまとかでしょうか。

このミケと言う名前ですが、ドイツの友人宅の猫がミケでした。

しかし、三毛のミケではなく二色の毛のミケでした。ただ、英語名のマイクのドイツ語発音、ということでした。

余談事ですが、北海道に旅行をした時、金太郎と名付けられた馬を見かけ嬉しかったのを思い出します。

子供たちは猫や犬を描く時、目の色は何色にするのでしょうか。

この絵の猫の目を見て思い出したことがあります。

ずっと以前のことですが、スエーデンの友人宅に行った時、友人の幼稚園に通っている娘が猫の絵を見せてくれました。目は青色でしたよ。たいていのスカンジナビアの人たちの目は青色です。やはり、目は青という固定観念があるのかなあ、と思ったものでした。

マルチン・ルター Martin Luther

 

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先日、マルチン・ルターの宗教改革の映画を見ました。

免罪符を発行し、それを手に入れれば天国に行けるという触れ込みで人々にそれを売りつけ、財力を膨れさせていく法王庁。また、人々は字が読めたとしても、聖書はドイツ語ではなくラテン語であるため、いずれにしょても読むことはできない。

それがおかしいと思ったルターはギリシャ語の聖書を手に入れ(当時は殆どの聖書がラテン語だった)、ドイツ語に翻訳していきます。法王庁は彼の行いを脅威ととらえます。結局、彼は火刑に処せられます。

庶民は聖書が読めなくてもいい、何も知らなくてよい、法王庁の言う事だけを信じておればよい、と彼らは言うのです。

この映画を見ながら、私は衆と民と言う漢字を思い出していました。

大衆の衆と言う字は「太陽と人人人」からできており、炎天下で働く奴隷の群れを表しているということです。人民の民という字の方は「目を鋭利な針で突いて盲目にした様子」を表しており、のちに出来上がった眠(目が見えない状態)の源字で、役番のかわりをさせられた盲目の奴隷のことだそうです。

いつの世も政府にとっては、国のまつりごとには、盲目的で何も言わず黙々と労働し、お上のことを何も疑うことなく、一切、批判しない国民、臣下の方が良いという事でしょうか。

ヨーロッパを旅するとルターだけでなくフス(ローマ)、ジャンヌダルク(フランスのブロアーだったでしょうか)などが火刑にあったといわれる所を訪れることもできます。ローマもレストランで食事をしていた時、友人がレストランの窓のすぐ外の広場でフスが火刑に合ったんだと淡々と話し出したことに私は少々驚いきました。

ドイツにはMartin Luther’sDayというマルチンルターを記念した日があります。

この日にはハローインと同じように、子供たちは近所中を歌を歌って回り、お菓子をもらいます。

ちょうど北ドイツ、フリースランドの友人宅に滞在していた時にそのお祭りがあり、友人が私も参加したら・・・と言うので、友人宅の近所を日本の歌を歌って回りました。

変装と言った大それたものでもなかったのですが、カンテラを持って、なんていわれたのでカンテラも持って・・・。別に火はついていませんでしたが。

随分と、お菓子を頂きました。次の日はオランダに向けて発つ日だったのですが、2,3のチョコレートだけもらって全て友人宅へ置いていきました。友人宅にはまだ哺乳瓶が必要な双子の赤ちゃんがいたのだけどチョコレートは無論彼らは食べられない…近所の子供たちにあげたのでしょうね。

世界の人々の心情というものはどこも同じなのでしょうか。

ノルウェーにはユレボクという風習があります。これはクリスマスのころに行われる習慣なのですが、これも子供たちが近所を訪ね歌を歌い、お菓子をもらうというものです。

Juleとはクリスマスのことで、クリスマスを表現するために、英語でもその言葉を使う事があります。スペルは英語らしく変化しYuleですが、ちゃんと英語の辞書に載っています。

ユレボクはお面をかぶって近所を回ります。私がYuletideクリスマス時にノルウェーに滞在していた時にユレボクの子供たちが、4,5人やってきました。一瞬、私を見て彼らの歌がやみました。

ノルウェーの友人たちが言うには、もう「先客」がいた、と思ったから。つまり、日本人を見たことがない村の子供たち、私がお面をぶっていたと友人は言うのですが、どうでしょうか。

また、背の低い日本人、若く見える(幼く見える)日本人は彼らと同じ年頃に見えたという事もあるのかもしれません。

 

silk 絹

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絹のお話です。

紙と同様に、絹も長いこと中国がヨーロッパに伝えなかったものの一つです.。

彼ら、ヨーロッパ人はどうしても、絹をヨーロッパでもロッパでも製造したくて杖の中にsilk worm,かいこを隠して持ち帰ったとか。

絹についての本を読んでいて発見したことです。

wormは生まれると食べ物を求めてすぐに四方に拡散する習性があるが、silk wormは長いこと人間に飼われていたため拡散することなく、そのままにしている、とか。

今は日本も絹の国として知られています。

ヨーロッパでは、今も床丈のフォーマルドレスを着衣するという習慣が残っています。

ヨーロッパを旅する時には、そんなドレスを一枚用意されたら役に立つと思います。クルーズ船に乗ったりするとドレスコードがあり、そんなドレスが必要みたいですが。

私も着物地で作ったちょっとしたフォーマルドレスを持って行っていたのですが、重宝しました。オペラに行ったり劇場に行ったり…その都度それを着ました。クリスマスパーティにもいつもドレスを着ましたよ。

モスクワに旅した時、ボリショイバレーを見に行った時もそれを着ていたのですが、周りにいたイギリス人とかから賞賛の目で見られました。本当はそんな大したものではなかったのですが、どうも絹と思われたようです。

とにかく、ノルウェー人にとっても、絹と言えば一目置くようです。

ノルウェーのデパートでは、日本からの輸入品として、かいこの缶詰めを打っていました。

夫はそれを特別なおいしいものdelicacyとして、パーティーのテーブルの上に供したのですが、みなの反応はいかがだったか、想像にお任せします。

ところで、杖はcane とかstickと呼ばれます。

ポーランドに旅した時のことです。クラカオのホテルのレストランでツアー(日本からのツアーに参加していました)の仲間の一人がテーブルの上の砂糖の入れ物に書いてある言葉が分からないとウエートレスに聞いていました。

"cane sugar"てなあに?と。

sugar は無論、砂糖のこと、caneは棒、杖上のものと考えてもいいけど、sugar caneはサトウキビのことです。つまり、cane sugarはサトウキビからできた砂糖てことです。

ところで、私は夏旅行する時には、絹製品を多くスーツケースに入れることにしています。汗してもコットンや麻より快適だし、軽いので。

この数年、着物をほどいてはブラウスなどにリフォームしました。

火事の時などは、絹製品を濡らして口を覆えばある程度悪いガスなどをシャットアウトするとかですよ。

アイスランド Iceland sons and daughters

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英語圏では名字の後に、son, mc, oをくっつけた誰それの息子という名前をよく目にします。たとえば、Johnson, McDolald, O'Nielleなどです。

Leonardo da Vinciもダビンチ村のレオナルドという意味ですが、昔はそのように苗字がなくどこどこ村のだれだれとかだれだれの息子のだれだれ、と言う風に呼んでいたようです。

日本人も近代になり、すべての国民が苗字を持つようになるまでは「どこどこ村の誰それ」とか「何々屋の誰それ」とヨーロッパと同じ形式が通っていたようです。

さて、アイスランドですが、この国では、現在もこの形式を残したままです。

息子は自分の父親の名前(first name)の後ろにson を付けて自分の苗字とします。娘の方は同じく父親の名前の後ろにdottier(スカンジナビアの言葉で娘と言う意味です)という言葉を付けます。

昔からの風習を今も残しているなんて尊敬してしまいます。

苗字ほどfirst nameは多くないから、同姓同名が多くて困るようです。それに電話帳も

 随分と分厚くなるとか聞きました。

父親 がいない場合は、母親の名前の後ろにsonか dottier を付けます。

ただし、Icelandic アイスランド語の dottierは英語の d ではなく、英語のthの発音記号の濁る方の字を使います。コンピューターのキーにないので申し訳ありません。

アイスランドってなんだか冷たそうな国に聞こえませんか?

あまり多くの人にそこに移ってきて欲しくなかったので「氷の国」なんて名前にしたけど効果なくて大勢住むようになったとか。

アイスランドでは古ノルウェー語が喋られています。

デンマーク領になっているGreenlandという島もあるのですが、そこへは大勢の人に住んでもらいたくてそんな名前にしたけどだめだったとか、そんなエピソードが残っています。

アイスランドには一度だけいったことがあります。ものすごく物価が高くて(ノルウェーも高いですがそれ以上です)、そこの住人の社会は借金社会だなんて聞きました。つまり、カード社会です。支払はすべてカードで・・・ってこと。

ただし、今では、ノルウェーも現金での支払いなんてほとんどしないって聞きました。

私が住みだしたころ(1970年代)には、もう日本でいう1円と言うような金額は値札にはプリントしてあっても、実際に支払う時には四捨五入して0か5に計算されていました。数年たってから5オーレ(100オーレが1クローナです)の硬貨は全面的に廃止になりました。どういうことか分かりますか?50オーレか0、つまり1クローナかどうかで四捨五入されていました。

これって、十何年前の話だからもっと計算が簡単になったかもしれません。頭を使わなくてもいいってことですよね。そんなので大丈夫なのでしょうか。

そうでなくても、ヨーロッパの人たちのお釣りの計算の仕方って、私たち日本人にとってはまどろっこしくて困ります。スーパーなどでお店の人があまりもゆっくり過ぎてお釣りをもらい損ねたことが何回もありました。

再度、名前の話に戻りますが、ヨーロッパ人が皆苗字を持つことを許されたとき、ドイツに住んでいたユダヤ人は自分たちも、と申し出たのだそうです。

彼らは他の住人と同じようには扱ってもらえず自然の中のものを自分の苗字とするなら、と許可が下りたそうですよ。

だから、ドイツに住んでいた多くのユダヤ人たちは自分たちの苗字をGoldstein(金の石)とかRubynstein(ルビーの石)などにしたそうですよ。

 

cabbage キャベツは頭の形をしてる?

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キャベツは頭の形をしていますか?

英語は時間、数、所有にうるさい言語です。

日本語と違って、なにかの名詞を伝えるのに数詞をいちいち言わなくてはならなくて、会話をするのに一言で・・・というわけにはいかず、ほんとうにまどろっこしいと思う事があります。

しかし、数に関しては、時になるほどなあ、と思う事があります。

キャベツ、カリフラワーなどを数えるには、head頭を使います。

 a head of cabbage, two heads of cauliflowerといったr具合にです。

トウモロコシもその形態から来たのでしょう、seven ears of corn トウモロコシ7本などと表現します。

麦などの穂にもearを使うのですが、ear耳の形をしていますかね?

a head of cabbage, two heads of cauliflower キャベツの1頭、カリフラワーの2頭と言った具合にです。

この絵の中のタケノコですが、英語ではbamboo sproutと言います。

sproutて芽のことですが、 bean sproutといえばもやしのことです。

spring は春とか、跳ねるの意味がある言葉ですが、out(外にの意味)に sprがつけば、なにかが飛び出てくる、と言うニュアンスで芽、つまり、もやしの意味になること理論的だと思いませんか。

ところで、もやしって生でいただきますか?

イスラエルに旅した時、ホテルのバイキングで毎日生のもやしとマッシュルームがあって少々驚きました。

ちょうど大きなタンザニアからの団体客(200人くらいだったでしょうか)が宿泊していましたが、まさか彼らがいつもそれらを生で食べているからってことはないですよね。海外に出ると、日本とは違っていてもそんなもんだ、とそう本気で疑問に思わないものですよ。

彼らはクリスチャンで聖地を巡りにイスラエルに旅してたみたいです。毎朝、私たちも、彼らの牧師さんの説教を聞きながら朝食をいただきました。