夏休みが始まりました hotel and hospital 語源は一緒です

さあ夏休みです。

皆さんはどこかに出かけられますか?

出かけてお世話になるのがホテル、今日はホテルのお話です。

hotelの語源は hospesで客人、客、宿主のこと。

hospesの由来は十字軍の兵士や旅人が宿泊するための教会などの施設だったのです。

また、hospesはホテルの概念の中心となるホスピタリティのおおもととなっています。

ここから分かれてhospitalisという言葉が生まれ、「手厚いもてなし」を意味する形容詞になりました。

hospitalisの中性系は hospitale。

これはラテン語で、参拝者、巡礼、旅人が身体を休める宿泊所等の意味がありました。

hospitale、この言葉はもともと、「客」を意味するhospに由来しますが、それがhospicsという言葉になり、客人をもてなすという意味になっていきました。

この客というのは聖地の巡礼に訪れた旅人や戦地への遠征などで遠くから来た人たちのことを指します。

彼らは旅人ですから、食べ物や寝る場所に困る事や旅路でケガをしたり疫病になってしまったりすることもあるでしょう。

そこで現地の人たちや教会等の団体が、彼らを助けてもてなし、病人の世話をしたりしたのです。

これがhospicsという言葉になりました。

それにしても国をいくつも超えて遠征にいったり、巡礼にいったり、命がけだったでしょうね。

十字軍は何回もエルサレムに遠征していますが、時にイギリスやフランスの王までも自ら遠征に参加しています。

ちょっと考えると勇ましく粛々と軍は進んでいたのかと思ったりもしますが、実際はぼろをまとった人々の群衆、そんな人々の行進だったとか。

それにしても人が動くと、行きかう人々によってその人々が往来する国は多分な利益があったようで・・・県民割だ、 go to キャンペーンだなんていっているのと変わりないかな。

私も海外に幾度も旅を様々なホテルに泊まりましたが、2,3、大変に印象に残っているホテルがあります。

まだ共産体制の時代に泊まったモスクワのHotel Moscow

凄く重々しくて上等なテーブルなどなどが調度してありました。

それからアムステルダムHotel Victoria・・・そういう名前だったでしょうか。

ジョン・レノン小野洋子が連泊していたとかのホテルで私と妹も泊まってみたのです。

もう一つ、バンコクの超高級ホテル・・・名前は忘れましたが、現天皇陛下ご夫婦も皇太子時代に宿泊されたというホテルです。

ホテル内に宿泊したroyalty皇族、王族ということで彼らの写真も飾ってありました。

ホテルの近くの川には(その一帯はホテルに属しているのかもしれません)宿泊者だけが乗れるタイの伝統的な美しい船も浮かんでいました。

そのホテルに出向く時には夫もちゃんとネクタイまでして・・・

ホテル内は全てフォーマルって感じでした。

さて、そこに泊まったか?ですって?

まさか!

見学に行ったのです。

dyed cloth染物 海外からのお客様をもてなしたことがありますか

数年前に仕事先で知り合いになった方に染物の先生がいました。

額に入れて飾るような美しい作品の方法を生徒さんに教授していらっしゃいました。

今日は彼女から聞いたお話を書きたいと思います。

彼女はある日市内の中学でアシスタントティーチャーとして働いている若いカナダ人女性からの電話を受けました。

話は、是非、日本の染め物を習いたい、という事でした。

ただし、お金がないのでレッスン代は払えないとのこと。

その先生っていい方なのです。

日本の文化をぜひ知らせたいとも思われたのでしょうね。

それからそのカナダ人女性は毎日のようにその先生の家にやってくるようになりました。

レッスンにかかる費用全ては先生持ちでした。

そうこうしているうちに、夕食は先生の家で食べる様になって・・・

60代の先生も一人住まいだし先生も構わない、と思われたみたい。

そのカナダ人にとっては様々な意味で居心地が良かった?

で、そろそろ任期が切れてカナダに帰る1か月くらい前、いったいこのカナダ人は何を言い出したと思いますか?

「たった1週間だけのために家賃を1か月分払うのは嫌、ここに住まわせてくれる?」

でした。

そんなことを言われたら私なら絶対断りますが。

先生はそれを了承してしまったんだから、ここまでくると外国人に甘い典型か、と私は思ってしまいました。

私はそこまでの話でもあきれてしまい、ひょっとしてこのカナダ人はイタリア系カナダ人かと思ってしまったり・・・。

で、先生に名前や住んでいる州など聞いてみたのですが、先生は忘れてしまっていました。

忘れてしまうほどの人にそこまでする?

しかし、話はここで終わりではないのです。

彼女がカナダに帰ってしまって1,2年たった頃、先生は東京からのまたもや突然その女性からの電話を受けたのです。

日本に観光でやって来た、先生の所に来てもいいかって…そりゃあ先生もO.K.ていうでしょうね。

なつかしかった?

しかし、やって来た彼女、再び先生におねだり・・・・

カナダの皆に染色のお土産を持って帰りたいのだけど作ってほしい、と。

またもや材料費は先生持ち。

ここまで図々しい人って日本ではお目にかからないでしょうね?

そして先生のような人もそういないのでは?

人に親切にすることは悪いことではないけれどほどほどにしないと。

そして、これが黒人やアジアの人たちだったとしても同じことをするのだろうか、と私は疑問に思ってしまったのです。

市内の知り合いにも似たり寄ったりの家族がいます。

彼らと個人的な付き合いがあり、夫がノルウェー人という事もあり、彼らはたまたま日本に観光にやって来たノルウェー人と知り合い親しくなったというわけです。

彼らは私たちゆえによりノルウェーに対して親しみを感じてくれているのかもしれませんが。

そのノルウェー人の男性はコロナ前には年に3回くらいやって来てはその家族の所に宿泊・・・で荷物は置きっぱなしで帰国と言うように親しげに付き合っています。

悪いことではないです。

ただ、この件も黒人,アジア人でも同じようにしてもらえたのだろうか、と疑問に思っています。

日本人はとにかく西洋人に甘い・・・これが日本人が同じように向こうでしてもらえると思ったら大間違いです。

こんなことを言っていますが、20歳のころフランスの友人を家に迎えた時には、私としては最大級のもてなしをしたような気がします。

新幹線のまだなかったころ、朝一番の列車に乗り伊丹空港まで迎えに行きました。

どれだけお金も使ったか・・・。

海外に住んだり旅行をしているうちに私も様々なことを学びました。

はっきり言えるのはそこまで彼らにする必要はない、という事です。

ろうけつ染めってきれいですね。

アジアの各国でろうけつ染めの布を見つけました。

ヨーロッパではないみたい。

それよりwax workと言えばマダム タッソーの写真などが飛び込んできます。



 

 

flame炎の色は何色?

毎日、お暑うございます。

この暑さ、hotだけでなく、burnbing hot燃えるような暑さなどと表現しています。

今日は炎のお話、色のお話です。

炎を絵に描く時たいていは赤にしますよね?

しかし、やはりこの絵のような時もある?

確かにガスの炎はこの色でしょう。

真っ赤より青の方がそんなに暑くないように感じますが、いかがでしょう。

blue 青は赤々と燃えるflame炎の色

blue青と赤の色がもともとは同じであったというと、そんなおかしな話が・・・ということになるのでしょうか?

しかし、実際には青も赤も白も黒も、これらすべての色の語はflame炎の色の様々な色から発展してできたものなのです。

flame炎の fを bに変えてできるのが blue青です。

青白くぼ~と燃えているflame炎の色です。

blue青の隣の炎の色を表す形容詞が blank「白紙の」です。

現在ではblank「白紙の」は「白い」というよりも「何も書かれていない」という別の意味に転嫁していますが、もともとは「白」を意味しました。

blanketだってもともとは羊の毛でできた染めてない状態のウールを指すのです。

元々「白」を表していたblank「白紙の」の kを c、さらに cを chに変えてできるのが、 bleach「漂泊する」です。

bleach「漂泊する」とはblank「白紙の」のように真っ白にしてしまう事です。

また、blank「白紙の」のnを音消失すると bleak「荒涼とした」という語ができます。

bleak「荒涼とした」とはもともとは「白い」という意味。

全てを雪で覆われたblank「白紙のような」 地とか,殺風景な何もない地とか家、転じて暗いとかと言った意味もあります。

何かの色を表現する時、やはり人間は思い込みからある色にしてしまう、ということがあるのでしょう。

初めてヨーロッパに行った時、なるほどと思ったことがありました。

スエーデンの友人宅の幼稚園児の娘が自分が描いた数枚絵を見せてくれたのですが、犬の絵も猫の絵もどれも青い目に塗りつぶしてありました。

いつも見ている周りの人たちの目が青いからだと思いました。

日本の児童だったら、まず黒にするのでは?

pupil 生徒?

f:id:goldencat-cherry:20211204174945j:plain

今日は瞳のお話です。

日本人の目は茶色と言っていいと思いますが、一般的には黒い目という事で通っているのでしょうか。

I have black eyes. なんて言うと打ち身で黒くなった目、あるいは嫉妬の目のことになってしまいます。

ノルウェーの人たちは皆青い目で生まれてくる、と言われています。

そのうち他の色の目になる人もです。

夫の一番下のお姉さんの娘は青の目だけど緑の縁取りがあるという美しい目をしています。

ハンガリーなどに行くと日本人のように細い目(友人はアーモンド形の目と表現していました)なんだけど、青い目の人がいたりします。

フランス人の友人はbeautiful!と言っていましたが。

pupilと言うと生徒と言う意味なんていうとそんなはずは、と言われそう?

間違いないです。

さなぎのことをpupaと言いますが、これとも語源的に関係するという話もあります。

今は未熟ですけど、そのうち、ぴゅーってのびて行くからpupilであり、pupaなんだとか。

何か怪しい覚え方でしょうか。

それはさておき、このpupilですが、なぜか瞳の意味でも使います。

ずうとどうしてなんだろうと思ていたのですが、語源辞典に解説が。

人と対面していると 相手の目の瞳の所に自分の小さな姿が映りますよね・・・まるで007の映画の中のお話みたい?

そこで子供のイメージでpupilと言うようになったそうなのです。

かわいらしい人形のことをpuppetということがありますが、このpuppetも pupilと語源を共通する言葉とかです。

目の中の小さい人形みたいなのが映っているところがpupilと考えるとイメージしやすいかもしれませんね。

子犬を表すpuppyも語源的にはつながりがあるようです。

さて、pupils と言えばschool。

前回のschoolの記事の時、書けばよかったのですが、今回に回ってしまいました。school of fishてなんだと思われますか?

♪めだかの学校♪はこの英語のフレーズから出来上がったのかと思ってしまいます。

そのまま訳すと「魚の学校」ですが、意味は「魚の群れ」なのです。

どんな学校何だろう?

それと同じように「群れ」のいい方もそれぞれにあります。

pack of wolves オオカミの群れ

pride of lions ライオンの群れ

flock of birds 鳥の群れ

と言った具合です。

pupil と同じような言葉、なんで?と言うような単語が他にもあります。

temple(普通はお寺と言う言葉で習います) こめかみです。

私たち一人一人がお寺を持っていると思えばおかしいですよね。

そしてappleはAdam’sappleと表現され喉仏です。

school 学校は暇なところだった

学生さんたち、もうすぐ夏休みですね。

学校を指すschool の語源をたどると面白い意味、と言うか今の学校とは全然似ても似つかない言葉に行きつきます。

何だと思います?

schoolは「余暇」を意味するギリシア語だったのです。

古代ギリシアの社会は奴隷の労働に支えられていた・・・市民たちの多くは自由に使える余暇が沢山あった・・・それで、彼らは哲学好きで精神の向上に情熱を燃やし、たっぷりある余暇を思索や討論をして過ごしたのです。

ある意味優雅ですね。

優れた哲学者が数多く登場したのも、そういった環境があればこそだったということでしょうか。

古代ギリシア人たちにとって、余暇は学ぶ時間であり、知的討論を展開する時間だったというわけ。

で、余暇を意味する語も、次第に学ぶ時間や知的討論の意味を持ち始めていきました。

そしてラテン語に入って、この言葉がscolaとなった時には、学ぶ場所、知的討論する場所、つまり学校の意味が生まれていました。

このラテン語のscola は9世紀になって英語にも取り入れらました。

school学校、 scholar学者などを表す英語はラテン語の scholaからきており、 schola学校は、ギリシア語の skhole余暇、暇からできた言葉なのです。

古代ギリシアでは、学問ができるのは生活に余裕のある貴族だったわけですが、その貴族たちが生活の余暇を利用して教養を身につけたからギリシア語の「暇」は「学問」(暇なときにされるもの)という意味になり、また、学問がなされる場所として「学校」という言葉ができたというわけです。

確かにヨーロッパ文化は古代ギリシア・ローマの昔から現代にいたるまで、これらの自由な市民、ブルジュアジー<富裕市民>など、お金にゆとりがある人々によって担われてきたのですものね。

日本に比べて欧米の夏休みは長いです。

アメリカやカナダは6月からですものね。

で、先日私のクラスにカナダからお客様がありました。

その長い夏休みを利用して日本のおばあちゃん家に帰ってきていて、7月末にはカナダへ帰国するけど、日本の学校が休みに入るまでこちらの学校に通わせてもらうとかでした。

以前もアイルランドから帰って来て、しばらく日本の幼稚園に通うという二人の少女に会った事がありますが、近所も国際的になったものです。

そして、そういう風に体験的に通わせてもらえるシステムもいいことだと思います。

さて、先日の7歳の少女はお母さん日本人、お父さん中国人(台湾系カナダ人)、そしてフランス語圏のカナダという事でフランス語を学校では使っているとか、プラスに英語もしゃべれます。

早くも4か国語喋れるのです。

私も彼女と喋って少しフランス語を試す事が出来ました。

この出会いに刺激されたという事でもないでしょうが・・・長いこと夫は8か国語喋れるのに、と思っていましたので、

で、duolingoでドイツ語も始めました。

フランス語より習いやすいです。

年行ったから覚えられない、なんていう人が多々いるのですが、そんなことはないですよ。1年たったら喋れるようになったら、と思います。

沢山のお隣さんneighbourに囲まれて生活していらっしゃいますか?

日本国内を列車で走ると,どこまで行っても家々、家と続いている景色・・・つくずく日本には人間が多いのだなあと思ってしまいます。

お隣さんの住まいがすぐのところにある・・・

しかし、私は余り閑散としているところにぽつんと立つ家には住めないような気がします。

ずっと以前オーストリアだったかイタリアだったか、とにかくその国から旧ユーゴスラビアに抜けた途端、行けども行けども真っ暗でやはり共産圏かと思ったことがありました。

街灯も何もなかったのです。ひょっとしてあの真っ暗な中に家があったのでしょうか。

中国なんてかなり暗くなっても家の中に明かりがともりません。

朝は朝で早くから人は起きだしているにもかかわらず電気がともらないし。

電力をケチっているのかと思いましたが。

現地のお店に行くとお店もかなり薄暗いと思いました。

さて、今日はお隣さんのお話です。

neighbourとは近所、隣人、隣国等の意味。

これってイギリス英語です。

アメリカ英語だとneighborと綴ります。

neighと bourと言う2つの部分から構成されている言葉、このうち、neighは nighという語に由来しています。

nighとは「近い」と言う意味を持つ古英語で,この語の比較級が後に独立し,今でも使われている単語、 nearです。

一方、borは「住む人」を意味する古英語、 geburが語源です。

ノルウェー語ではborを「住む」と言う意味で今でも使っています。

このgeburはさらに burと言う語から派生しています。

burは城壁に囲まれた地域、すなわち「町」を意味する burgを語源に持つ言葉です。

英語圏ならご存じのピッツバーグ、ウィリアムバーグ、などの「バーグ」、ドイツ語圏ならハンブルグ等の「ブルグ」フランス語圏ならストラスブール等の「ブール」と言った具合に、このburgがもとになった都市名は世界各地にあります。

この2つの言葉を合わせて「住む人」となったのがneighbourというわけです。

最近フランス語を学んでいるのですが、語源て本当に面白いと思います。

フランス語のport、salonてなんだと思いますか?

port(aeroportは飛行場)はドア、salonは居間です。

英語に入って少し変化していますがニュアンスを残していますよね。

それにしても、高齢化社会は我がコミュニティでももろに見て取れます。

若い人たちは結婚したがらないようだし、近所に数えるほどしか子供たちがいない。

空き家はあちこちに点々と存在するし。

 

 

七夕飾りを作りましたか? star festival

七夕様ですね。

長いこと、笹の葉飾りを見たことがないような気がします。

前、見たのはどこかのホテルのフロントでの飾りつけだったか、それとも福岡空港での飾りつけだったでしょうか。

私が町の中心街になかなか出かけない、という事も理由かもしれません。

私が幼い時には父親が笹を1本切り出してき、妹と私は畑で大きな葉っぱから露を集めて硯の中に入れ、墨をすってはちゃんと筆で何やら短冊に書いていました。

そして、お祭りが済むと近くの川まで笹を流しに行っていた。

遠い昔のことです。

今じゃあ、そんなことをしたら不法投棄の罪に問われますよね。

だいたい川が詰まってしまって大変なことになるでしょう。

あの頃は近所中の子供たちが笹を担いで川に捨てに行っていた・・・。

懐かしいです。

川の中には、数日、同じところにささはそのまま流れることなくありましたが、そのうち、見えなくなった。

誰かが、毎年、引き揚げてくれていたんでしょうね。

今じゃあ、その川までも舗装されてしまって蛍1頭も見えないようです。

世の中、便利になったのはいい、周りがきれいに見えるのもいい、しかし、昔から伝えられてきた伝統的なものが消えていく、昔からの私たちの自然の財産が壊されていくのは悲しいですね。

ふと、江戸時代には七夕様ってどのように祝われていたのだろうと考えてしまいました。

明治生まれの祖父が話してくれた多くの不思議な話を思い出します。

彼らはそれらを信じそれらのものの中で生きていたのです。

家の周りは真っ暗だった・・・

想像が想像を呼ぶ世界です。

時代をさかのぼれが登るほど、畏敬のものに対して人々は恐れの心を持っていたのかと思ってしまいます。

ところで、七夕の笹飾りってそれを初めて見た海外の人たちにとってはどういう風に見えたと思いますか?

笹飾りがデザインしてある切手が、クリスマスツリーの切手と同じひとくくりで紹介されていました。

その記事を見たのは数十年前だから、今はそんな無知な人も少なくなったかもしれませんが。