文字

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この絵は東巴(とんぱ)文字です。これで客人と言う意味だそう。
中国麗江に旅した時、東巴文字が使われている村を訪れました。なし族と呼ばれている人たちだったと思います。

家の門扉とか街角の壁とかいたるところにカラフルな東巴文字が見えました。

じっと見ていると漢字の成り立ちにも似てとても興味深く思えました。

帰りに空港の本屋さんでその文字の辞書を購入しました。

さて、日本の文字の話です。

Korea もVietnamも漢字の使用を中止してしまって現在に至っていますが、日本でも廃止論が盛んに論じられていたことがあったとか。廃止にならなくて良かったですね。

現在、漢字が使われているのは本国中国と日本だけです。

漢字使用が廃止されなかったために、今でも私たちは日本の古典を読むことができます。私たちの日本語は漢字、カタカナ、ひらかなの使用で実に豊かになったと思います。

英語だって、フランス語が入ったためにどれだけ豊かに美しい言葉になったか。そんなことを言うとひんしゅくをかいますか。

韓国では漢字を読み書きできようものなら大変なエリートに思われるとかーーー韓国の大学の教授がそんなことを言っていました。

ところで、昔の電報はカタカナだけで書かれていたとか。

その理由は、当時の通信技術で無線通信できる文字の種類がそれほど多くなかったからだとか。しかし、なぜひらかなでなくカタカナであったか、と疑問に思いませんか。

戦後生まれの私たちにはこんな疑問が生まれてくるのですが、明治時代に義務教育が始まって以来、ずっと子供たちにはまずカタカナを教え、次がひらかなを教えるという方式がとられていたからだそうですよ。

戦前の小学校一年生が開く読本にはまず「ハナ ハト マエ マス」、「サイタ サイタ サクラ ガ サイタ」と全てカタカナで書かれていたとか。

タイのチェンライやチェンマイを訪れた時も、以前はそこでも感じが使われていたのだ、ということを感じました。

どちらの地名のチェンも清という漢字をもともとは使っていたようで、所々でその字が入った地名を目にすることがありました。

チェンライのライのほうは来の字です。

夫はオスロ大学で日本文学を専攻していましたが、その中には習字も入っていました。小学校で児童が使う習字用の道具を一式買って、文鎮もちゃんとおいて神妙に書いていましたよ。

あの頃は、何だったんだろう。日本人が使う事があるはずもない難しい英単語を覚えて英語が身に付いた、と思うのと一緒でしょうか。夫は私が書けない薔薇とか難しい漢字を習っては楽しんでいました。ちゃんと書けていたのです!