イスラエルへの旅(2)journey to Israel
イスラエルへの旅の続きです。
これは「嘆きの壁」の写真です。
もちろんこの壁も旧市街の中にあります。
私たちが宿泊したホテルはオリーブ山にあったのですが、毎日観光に旧市街の方に出かけていました。
これでははっきり見えませんが壁に向かって左側が男性用、右側が女性用です。
女性は、私も含め、何も頭の上につけなくてもいいのですが、男性は小さいキャップを付けなければならないことになっています。
この写真の男性のように帽子の人はそのままでいいようです。
夫もこの壁の前に立つにはキャップを購入しました。
この写真では黒っぽい服の人が多いですが、時に下の写真のように白地に黒い縞のショール(?)をした男性もいました。
ユダヤ教も宗派がありそれによって服装も
変わってくるようでした。
耳の前に垂れている髪、sideburn(ヘブライ語ではpayotと呼ばれるそうです)は耳の上位の位置にある(私はメガネフレームがちょうど来るあたりかと思ったのですが)骨から上側の髪を切ってはいけないんだそうです。
聖書にそうあるからだそうですが。
女性なんか結婚すると髪をそってしまう・・・そんなことまでしていたそうです。
今もそんなことする人いるのでしょうか。
デ、髪が無くなった人はかつらをかぶっていたそうです。
イスラエルの女性にスカーフが多かったのは、まさかそれゆえではないでしょうね?
下の写真はアメジストにユダヤ教の中の話を彫り込んだものだそうで、この嘆きの壁下の土の中から出土したものだそう…2000年前のものだそうです。
前の記事でイスラエルへの出入国はかなり厳しいことをお伝えしましたが、あるイギリス人女性に起こったお話を書きたいと思います。
彼女はあるイスラエルの男性(実際はパレスチナ人?)と婚約し彼の親と会うためにイスラエルにやってくることになったそうです。
婚約者も一緒に行けばいいのですが、都合でダメなので先に行ってくれ、と言いわたされ、親へのお土産も預かったそうです。
さて、飛行場に行き大変なことが発覚しました。
お土産としてスーツケースに入れ彼女が運ぼうとしたのは爆弾だったのです。
飛行機に乗る前に判明したので事なきを得ましたが。
婚約者は彼女が死んでしまってもいいと思っていたわけで・・・。
私たちは、ある日、彼らの地域へも観光のために行ったのですが、帰りの方が検査は厳しかったです、
隣に立っていた子供連れのパレスチナ人の言葉が忘れられません。
「あなた方は観光客だからいい、自分たちはこれが毎日だから」と。
自分の国であれほど厳しい差別的な検査を毎日動くたびに受けなければならないなんていい加減にnervous break(今も切れるなんて言いますか?それがこの英語にぴったりな表現です)を起こしそうですよね。
あんな扱いを毎日受けて過ごしていると、いつか報復を,と思ってしまうのも無理ないか、と思えてしまいます。
あれほどの差別をヨーロッパじゅうで受けたのに今じゃ自分たちが差別をしているなんて・・・。
エルサレムにもholocaust museumがあります。
殆ど写真だけの展示で、中は明るいし、そんなに怖いとかの印象は受けませんでした。
「広島」の方が怖いです。
小学校の時,修学旅行で行ったのですが、その晩、食事が食べられませんでした。
それから何年も悪夢がありました(今も?)。
広島市の小学生って皆かどうかは知りませんが、私の知り合いのお孫さんの学校って毎年学習のためにそこを訪れるのですって。
生徒さんに寄ってはいやだ、いやだと泣き叫び抵抗するそうですが・・・。
そこまでする必要があるのでしょうか。
アウシュビッツにも行きましたが、やはりここの方が怖さが伝わります。
ただし、広島の方がもっと怖いです。
怖さについては日本人と西洋人の感覚が違うような気がしますが。
広島の博物館は日本人の感覚にもっと訴えてくる?
そんなことありますか?
オランダ(それともベルギーだったでしょうか)のどこでだったでしょうか、ある博物館でアウシュビッツで亡くなった女性が来ていたあの縞柄のパジャマ服が展示されていました。
その前でピースマークをしながら写真を撮っている若い人たちがいましたが、彼らの神経が分からない、と思ってしまったことがあります。
ヨーロッパは何も変わっていない、というようなところがあるかも、です。