兵士の給料として塩が払われていた

f:id:goldencat-cherry:20220208113937j:plain

今日は塩のお話です。

小説の中でさえ、塩の重要性がテーマにされたお話が多々ありますよね。

有名なところでは、シェークスピアの「リア王」とか。

「塩を制する者は人を制する」と言われるほど塩は人間にとって欠くことのできない重要なもののようです。

したがって塩は古い時代から重要な交易品の一つでした。

ローマ時代、兵士の給料の一部が塩(ザール)で支払われていたとか。

そこからサラリーという言葉が生まれたのだそうです。

オーストリアザルツブルグも「塩の砦」とかという意味だそうです。

塩がいかに重要だったかが分かりますよね。

日本でも同様で平安時代には春秋2回、ボーナスのような形で役人に塩が支給されていたのだそうですよ。

日本では岩塩が出ないため、海水から塩がとられています。

古くは海草を浜に積んで海水を注ぎ、太陽熱で太陽熱で乾かした後焼き、後に残った塩をとる方法が行われていたとか。

万葉集にもあります。

朝なぎに玉藻刈りつつ夕なぎに藻塩焼きつつ

こう歌われていることから、この製塩法が実際に行われていたということがわかりますよね。

しかし、この方法は能率が悪いので後に塩田法が行われるようになったそうです。

私は岡山出身ですが、県南でも塩田法で塩が作られていました。

小学生の時、何回もバスでの遠足とかで見学に行ったのを思い出します。

もうそんな塩田法は見られないかもしれませんね。

数年前、屋久島に旅した時、その懐かしい塩田法を久しぶりに目にしました。

所長さん、自らが樽にいっぱいにした海水を上手にまいてどのようにして塩を作っていたかデモンストレーションしてくれたり・・・。

そして、塩を買って帰りました。

赤穂浪士」で知られる赤穂はこの塩田法で良質な塩を算出していたといわれています。

赤穂浪士の敵役、吉良上野介の領国も塩の産地として有名で、浅野と吉良のトラブルは浅野の塩の評判が良くて吉良の塩の売れ行きが悪くなったため、吉良が浅野に意地悪をしたのが発端となったといわれているとか。

ところで、ポーランドでしたか、岩塩の採掘跡を見に行ったことがあります。

地下何階にも降りて行きました。

随分広い空間があり、そこでは今では演奏会なども開かれている様でした。

我が家全体をすっぽり入れてしまってもまだ十分な空間があるほどのスペースだったと思います。

全部岩塩を掘り出した後ということ・・・。

私自身が出向かなくても、世界のあちこちの岩塩をお土産でいただきました。

ボリビアとかからも。

とにもかくにも塩なしで生きられないのが人間のようですね。

しかし、人間の残酷さって、塩まで死刑につかっていたとか。

獄につながれている人にとにかく塩辛いものしか与えない刑・・・。

人間、一度に320グラムでしたかの塩を口にすると命を落とすそうです。